2009年05月27日

拍手まとめ他 魔理沙編 其の弐

登場キャラ
霖之助 魔理沙 霊夢 他











                          『自転車』

 その日はやることもなく暇だった。神社にまで遊びに行ったものの、霊夢が留守だった
のだ。その帰り道、空をぶらぶらと飛んでいると珍しい人物が歩いているのが見えた。
「よお、こんなところでゴミ拾いでもしているのか?」
「魔理沙か。相変わらず失礼な奴だ。それに今日は道具を拾いに行くんじゃないよ。僕が
用があるのは……」
 無造作に香霖は私の手を掴んだ。そして私を引っ張るようにして歩き出し、
「霧雨の家だ」
「あー、そういえば私は凄い忙しかったんだ。悪いな、香霖。暇が私を放って置いてくれ
ないんだ」
 掴んだ手を振り解こうとするも、流石に香霖でも私よりは力がある。魔法を使うべきか
と真剣に悩み出した時、ふいに腕が解かれた。地面との摩擦を増していた私は盛大につん
のめる。
「あんまり人を食ったことをいうもんじゃないよ。因果はいつか巡って来るんだから」
「来世にまでツケておくから平気だぜ」
 あんまり長居すると本気で実家に連れられかねない。私は早々に香霖から距離を取って
箒に跨った。
「そういえば、一つ聞きたいことがあったんだ。君が十歳の頃の話だからもう何年も前の
話になるが――その時親父さんと何かなかったかい?」
「……十歳の時だって?」
 とっとと逃げるつもりだった私が思わず反応してしまったのは心当たりがあったからだ。
完全に忘れていつもりでも心の奥底では気になっていたということなだろうか。
 黙りこんでしまった私をどう思ったのか。香霖は一言二言声をかけ里の方へと歩いていっ
た。香霖が立ち去ってからも私はずっとその場所に立ち尽くしたままだった。脳裏には幼
い頃の光景が、あの暑い暑い夏の日が描き出されていた。

                            *

 煩い位の蝉の声が余計に暑さを感じさせる。倒れそうな暑さの中、道なき道を歩いて行
くと鬱蒼と茂った森が見えてくる。その先にある店、香霖堂という古ぼけた道具屋が私の
目的地だった。
「なんだそりゃ?」
 私が香霖堂の前に辿り着いた後の第一声はそれだった。目当ての男が店の前で油塗れに
なりながら奇怪な道具を修理していたのだ。
 奇妙に捩れた金属の筒に一抱えほどもある大きさの車輪が二つ付いている。想像だけで
作られた出来損ないの車のような、そうでなければ車をモチーフにした前衛芸術のような
卦体な形状をしている物体だ。それが古代人の崇拝していた偶像だと言われても信じてし
まうことだろう。
「何だ、魔理沙じゃないか。また遊びに来たのか」
「遊びに来てあげてるんだ。感謝してくれてもいいんだぜ」
 何で君はそんな偉そうなんだ、と溜息を付いて顔を拭う。油に塗れた袖で顔を拭っても
ただ伸ばしているだけだ。黒と白の斑模様の顔が少し可笑しい。
 見ての通りこいつは変な男だが、まだ十になったばかりの私を子供扱いしないので割り
と気に入っている。香霖堂の店主だから香霖。そのまんまだな。
 香霖は広げていた道具を片付けると、へんてこな道具の前に立った。
「こいつはね、自転車、と言って外の世界の道具なんだ。使い方は良くわからないが、車
と付くだけあって用途は当然乗り物だ」
「こんなバランスの悪そうな物にどうやって乗るんだ?」
 よく見ると香霖の服は油だけでなく埃に塗れており、あちこちをぶつけたような痕があっ
た。頬の擦り傷を隠すように背中を向けると、ばつが悪そうに話を続ける。
「確かにこの乗り物は安定性が悪い。恐らくこの状態は不完全な状態なのだと思う。車輪
が二つしかないというのは如何にも不自然だからね」
「これを車だと言うのは流石に無理があるんじゃないか。とてもじゃないが乗れそうには
ないぜ。ゴミと言うほうがまだ正しいと思うが」
「確かに今まではゴミだったかもしれない。しかし僕は道具屋だ。ゴミだって時間をかけ
れば立派な道具にだってすることが出来るのさ」
 そういって指した先、巨大な車輪の下の方にまるで赤ん坊のような車輪が二つくっつい
ていた。
「僕の想像ではこの道具の完全な形は車輪が三つの状態だと思うのだが……まあ少なくと
もこれで転ぶことはないだろう」
「転びはしないだろうが……不恰好だな」
「道具とは見た目よりもその実用性こそが重要なんだ。そうだ魔理沙、折角だから一度乗っ
てみると良い」
「何が折角なのかわからないぜ」
 抗議しようと思ったときにはもう遅かった。脇の下から入れられた手は私を宙空に浮か
せ、妙ちきりんな車へと着地させられていた。

 頬が風を切る感触が心地よい。髪が額に張り付くほどの汗が乾いていくのを感じる。ど
れだけ頑張って走ったとしても届かないだろう速さを私は一身に感じていた。
「確かに見た目とは大違いの実用性だぜ」
 私は今自転車に乗っている。足をくるくると回すだけで勝手に車輪が動き、回せば回す
ほど速度は増していく。まるで魔法でも使っているかのような感覚だ。あの店にはがらく
たしか置いていないと思っていたが、こんな掘り出し物があるとはな。
 始めはおっかなびっくりと乗っていた自転車だったが、私は直ぐにその乗り心地の虜に
なっていた。今は香霖堂からの帰り道、自転車を貸して欲しいという私に最初の内は渋っ
ていた香霖だが、私が自転車の良さを説くと最後には首を振ってくれた。何だかんだで自
分が作った道具が上手く動いて嬉しかったようである。
 自転車に乗っていると見慣れた景色もあっと言う間に後方に流れていく。それが楽しく
て私は横を見ながら走っていた。すると突然体がふわっと浮いたような感覚に襲われる。
「う、わ、わわわわわわあっ!」
 前を見ていなかった私は坂の存在に気が付かなかった。咄嗟のことに体は反応できず、
恐ろしいほどの速度で自転車は坂を下る。
「おおおっっ……と」
 幸い坂は短く、下はなだらかな平地が続いていたので怪我をすることはなかった。教え
られた通りに把手を握りこむと少しずつスピードが落ちていく。完全に自転車が止まった
ところで私は大きく息を吐いた。止まったはずの汗がまた噴出しているのがわかる。シャ
ツがぴったりと背中に張り付いて気持ちが悪い。だがこの感覚は――
「面白かった、な」
 危なく怪我をするところだったというのに、私は先程の浮遊感と圧倒的なスピードをも
う一度味わいたいと思ってしまった。
「もう一度、もう一度だけ……」
 そんなことを呟きながら、私は次の坂がある場所を思い出して自転車を走らせていた。

 私の顔を見るたびに目を剥く使用人の横を通り過ぎながら家の中に入っていった。
 膝が痛い。肘が痛い。頬も腫れているし、もう体中がずきずきしている気がする。それ
もこれも自分が調子に乗った結果なので文句を言う相手もいないのだ。
 あの後次の坂を下った時、余りにも速いので恐ろしくなって把手を握り込んだのだが、
全然速度は落ちてくれない。靴の底が磨り減ってなくなるんじゃないかと思うほどに足で
踏ん張っても全く効果はなかった。その内に自転車は景色が滲んで見えなくなるほどの速
さに達し、恐ろしくなった私はとっさに草むらへと体を投げ出していた。
 その結果、体中に擦り傷を作るはお気に入りの服は破けてしまうは、香霖から借りた自
転車は滅茶苦茶になるわで……居た堪れない気持ちで一杯の帰宅だった。
 もう一歩も動きたくないほど気力を失い、傷の手当が終わったらとっとと部屋で寝たい。
そんな私の思惑は今一番会いたくない人物に遮られることになった。
「……誰にやられたんだ?」
 そこには私の親父が立っていた。妙に神妙な顔でいて、そして腹の底に響くような恐ろ
しい声が発せられた。私は勝手に家を抜け出したこと、そして服を駄目にした上に怪我ま
で拵えて来たことを怒っているのだと思った。親父の様子の恐ろしさに、私は咄嗟に声が
出ない。
 ――霖之助に迷惑をかけるな
 普段から口を酸っぱくして言われていることである。本当のことをいったらどんな折檻
をされるかわからない。全身を襲う震えを破れたスカートの端を握り締め、顔を俯けるこ
とで何とか堪えようとしたつもりだった。
「誰にやられたんだ!」
 その私の後頭部に怒声が浴びせられていた。次の瞬間、私の涙腺はあっけなく決壊し、
次から次へと涙が頬を伝っていく。我慢していた怪我の痛みも重なって、私はわんわん
と泣き出してしまった。それでも親父は怖い顔のままで私を睨んでいる。もう黙っている
ことも叶わずに、私は口を開いていた。
「えっぐ……遊びに行ったら…………ゃが楽しくて……香霖も喜んでくれから、でも帰
り途中で……私、怖くなって……草むらに……そしたら香霖……自……ゃが」
 自分でも何を言っているかわからないほどに取りとめもなく今日の出来事を話した。
 そうして私が泣き止んだ頃、どうしてか親父は倒れたまま気を失っていた。

                            *

 魔理沙とわかれた僕は予定通りに霧雨の家にお邪魔していた。用事があるとしか聞いて
いなかった僕は、親父さんの様子に驚愕していた。前に蝉の煩さに負け厄介になった時か
ら、いやそれよりもずっと前からだったかもしれない。親父さんの僕に対する態度は不可
思議なものになっていたのだ。
 そう、確か親父さんのこの豹変は魔理沙に貸した自転車という外の世界の車を壊された
時を前後してのことのように思える。
「儂はなあ、一人娘だと思って大切に育ててきたつもりだ。それこそ目に入れても痛くな
い程になあ」
「はぁ……」
 僕が訪れた時には完全に出来上がっていた親父さんの話はずっと同じ物の繰り返しであ
る。生返事以外に出来ることはないのだ。
「それを……それを……あんまりじゃあないか。お前が悪い奴じゃあないことはわかっと
る。あいつもお前を慕っていたのは確かだ。だが、だがなあっ! あいつはまだ十になっ
たばかりだったんだぞ!?」
 親父さんは杯を一気に傾ける。余り体に良い飲み方ではない。度数も高く、当然のよう
に咽てしまう。
「もう少し落ち着いて飲まないと体に障りますよ」
「五月蠅いっ! 責任を取る気もないのに息子面をするんじゃあ……げほっ、がほっ!」
「ほら、落ち着いて。水です」
 僕の手からひったくるようにして親父さんはコップを奪い取る。そして流し込むように
水を呷り、また盛大に咽てしまった。親父さんの背中をさすってやると、今度は小さく震
えだす。
「例え切欠が間違いだとしても……義息の性癖に問題があったとしても、本当は祝福する
べきなのかもしれん。それがあいつの幸せだというなら……孫の顔を見られるなら……」
 親父さんは相当回っているようで、いっていることの意味は殆ど取れなかった。ただ、
僕の魔理沙に対する対応に憤っていることはわかった。恐らくは、家を出たときにミニ八
卦炉を渡したことについてだと思う。彼女が家を出る手助けをしたと思っているのだろう。
確かにそういう風に見えるかもしれないが、僕が彼女を煽ったことなど一度もない。僕は
ただ、彼女が望むままの道を進むのを静観していたに過ぎない。僕がいようがいまいが、
どの道彼女は同じ道を歩いたことだろう。
 それからも親父さんの錯乱は続いたが、僕は辛抱強くそれに付き合った。素面で話せば
きっとわかってくれるはずだ。そう願いながら僕は終わらない話に耳を傾け続けていた。


この話は32スレ67さんの改変コピペを元に書かせていただいた話です。












                        『コミュニスト』

 僕は拾った道具を見つめて唸っていた。何の変哲もない二つの道具。しかしそれこそが
大きな問題だったのだ。何故ならその二つの道具が象徴するものが幻想入りすれば、幻想
郷は変わらずにはいられなくなるだろうからだ。
「うーん、これはやはり……」
「どうしたんだ香霖。鎌とハンマー何か眺めて。世界同時革命でも始める気か?」
 気が付くと黒白の魔法使いが店の中に入り込んでいた。
「相変わらず唐突だね。まあ間違ってもいないのだが」
「何だ本当に赤に染っちまったのか。プラカードでも作るか? 私有財産は敵か? この
敗北主義者め」
「何をいっているのかわからないよ。そうじゃなくて、最近その手のものがよく落ちてい
るんだよ。まあ、この二つは特に関係はないのだが、やけに暗示的だとは思わないかい?」
「ふーん、まあ外の世界にとっては良いことなんじゃないか? 私にはどうでもいいが」
 ――カラン、カラン
「二人とも何の話をしているの?」
 本日二人目の客は紅白の巫女だった。いや、この二人は客ではないのだろうが。
「お、出やがったな霊夢。相変わらず真っ赤に染まりやがって、お前には鉄の人ってペン
ネームを進呈するぜ」
「私が筆髭なら魔理沙がチョビ髭なのかしら。だったら霖之助さんは……パスタ野郎?」
「僕もそこまで落ちるつもりは無いよ……って話が脱線しているよ。問題はそんなことじゃ
ないだろう?」
 僕は今来た霊夢に魔理沙にしたものと同じ説明をした。
「そもそも何が問題なのかわからないぜ」
「そうねぇ。別に外の世界のことは私の管轄じゃないし」
「外の世界で幻想になったということは、幻想郷に入ってくるということだ。この場所が
赤く染まったら君たちも困るだろう?」
 魔理沙なら「その時は党員になった私が香霖の財産を引き取りに来るぜ」くらい言うと
思ったのだが、僕の予想は裏切られることになった。
「別に問題ないわ」
「別に問題ないぜ」
 あまりの即答に僕は目を瞬かせた。
「何故だい?」
「だって、ねえ?」
「なあ?」
 二人は顔と声を合わせて口を開いた。
「幻想郷にシベリアはないじゃない」
「タイガで木を数えることもないぜ」
「そういう問題じゃないと思うが……まあいいか」
 楽観的な二人に引きずられるように僕の気も落ち着いていた。何にせよ、妖怪が幅を利
かせるこの世界に一つの思想が広まることはないだろう。
 夕食を作ってくれるという二人に任せて、僕は不必要な道具を処分した。夕食は真赤な
ボルシチとヴォトカだった。僕は二人の間違いを咎めようとしたが、ストレートでヴォト
カを飲んだらどうでもよくなってしまった。
 きっと明日も幻想郷は平和だろう。













                       『A Rough Day』

 わずかに離れた場所から注がれる視線。それは私に次の行動を求めていた。だが私の手
は凍りついてしまったかのように動かない。
 まだ春先だというのに嫌に暑い気がする。火照った頬と体の熱はまるで熱病でも患った
かのようだとさえ思えた。
 大きく息を吸い、そして吸ったのと同じだけの時間をかけて吐いた。そんな行為で気が
落ち着くはずもない。ただ、その瞬間までの時間を長引かせているだけに過ぎない。だが
他に出来ることがない以上、私はそれを繰り返す他はなかった。
「魔理沙」
 冷たい、いや乾いた声。それが香霖の口から放たれる。もう、覚悟を決めるしかない。
「お、おう……わかってるぜ」
 急かされるままに私は薄布に手をかけた。滑り落ちたシーツの下からは、一糸纏わぬ私
の身体が顕になる。そして当然のように、その姿は香霖の、森近霖之助の目に晒されてい
るのだ。香霖堂の薄暗さだけが唯一つの救いだと思った。
 鼓動は早鐘のように激しくなり、天地が逆転してしまったかと思えるほどに意識は覚束
ない。ただ香霖の顔は見ていたくはなかった。
 そっと顔を逸らした時、僅かに見えたその表情は――子供のような無垢な微笑だった。

                            *

 今日はずっと退屈だった。神社に行っても霊夢はいない。紅魔館に侵入しようとしたが
メイドによって撃退され、からかう妖精の姿も見当たらなかった。
 仕様が無いので香霖堂へ寄ったのだが、香霖は本に夢中で私の相手をしてくれない。
 私も本を手に取ったのだがどうにも身が入らなかった。
 何一つ上手くいかない日というものはあるものだ。しかしこのまま一日を終えてしまう
のはどうにも詰まらない。一つだけでいいから何か自分の思うようにことを運びたい。そ
んな詰まらない思いが切欠だった。
「なあ香霖、何を読んでいるんだ?」
 本を置きいつもの壷から腰を上げる。香霖は背中を向けたまま素っ気無い返事を返した。
「大した本ではないよ」
 別に本の内容に興味があった訳ではない。ただ本から顔を上げさせてやろうと思ってい
ただけなのだ。だがそんな考えも香霖の手元を覗き込んだ瞬間、木っ端微塵に砕け散った。
「な、なにを読んでいるんだ……?」
「何って……魔理沙が見ている通りのものだよ」
 あくまで涼しげな態度を崩さない香霖だったが、その本の内容はとても看過出来ないも
のだった。天然色で彩られた頁にはこれでもかという位に扇情的なポーズを取る裸体の女
性の姿が大写しになっていたのだ。
「な、なんでそんなものを……?」
「さっきから何をいっているんだ。見たいから見る、それ以外に理由がいるのかい?」
 離しながらも香霖は頁をめくり、舐めるような視線を裸体の女性へと送っていた。
 きっとこの時の私はどうかしていたのだと思う。ああ、本当にどうかしていたのだ。何
もかも上手くいかない一日の締めくくりにこんなことがあるのだと誰が予想できただろう。
その時覚えた感覚は怒りなのか悲しみなのか、今ではもうよくわからない。
 ともかく、その強い感情は私の意思を裏切ってとんでもないことを口にさせていたのだ。
「そんなものが見たければ私のを見ればいいだろぉー!!」
 時が止まった。私は叫んだままの格好で硬直し、香霖は何を言われたのかわからないよ
うに頁を繰る手を止めていた。そして呆けたような顔で私を見返して、手にした本に視線
を落とし、そしてまた私の顔に視線を戻した。
「そうか、その手があったか」
「……へ?」
 勢いよく立ち上がった香霖に押されるようにたたらを踏んだ私は、その場にふらふらと
座り込んでしまった。
 そんな私を無表情に見下ろして、香霖は私の服に手を伸ばしていた。

                            *

 視線というものには実は質量があるのではないか、そんなことを考えてしまう。顔を逸
らしていても香霖がどこを見ているのかを痛いほどに感じていた。
「ほら、隠すな。よく見えないだろ?」
「わ、わかってるぜ……」
 どかした手の下には膨らみかけた二つの乳房。まさかこんな風にこの男に晒すことにな
るとは思っていなかった。これでもう私の身体を隠すものは文字通りなにもない。乳房も
御腹も背中も脚もお尻も、私の全ては香霖の目に触れてしまっている。
 横目で香霖を眺めるとそっと手を伸ばすところだった。その手の先には――一本の絵筆
が握られている。
「……なあ、なんでいきなり絵を描こうだなんて思ったんだ?」
 そう、なんのことはない。この男はただ裸婦画のデッサンをしたいが為にあんな本を読
んでいたのである。それを知ったときの私の心情を余すところなくこの男に伝えてやりた
かったが、どうせ何一つわかりはしないのだと諦めた。
「いや、別段絵を描きたい訳ではないんだよ。前に写真の話をしたことを覚えているかい?」
「ああ、なんとなくだが」
 写真を撮るのは景色をいつでも見られるようにしておきたいということではなく物事を
多面的に見るためなのだ、というようなことをいっていた。何という回りくどい奴だと呆
れた覚えがある。
「今回も同じことだよ」
「だったら写真を撮ればいいだろう?」
 口に出してから今の自分の痴態を写真に撮られるのだと思い返し慌てて否定しようとし
たが、香霖が口を開くほうが早かった。
「いや絵を描くことと写真を撮ることは全く違うことなんだ」
「どこが違うんだ? 上手下手はあるだろうが、見たままを正確に描くことが出来れば写
真も絵も違いはないだろう。そりゃあ写真を撮りたいのと絵を描きたいことは別だろうが、
物事をどう見るかってことなら変わりはないじゃないか」
「そこがまず間違いなんだよ。写真の概念を思い出してみれば直ぐに気が付くはずだよ」
 写真とは鏡に映った瞬間を切り取る道具である。つまり映し出されるものは鏡に映った
姿そのものなのだ。では人の目はというと、実は必ずしも鏡のように正確に物事を映し出
している訳ではない。例え全く同じものを見た場合であっても実際に見るのと写真で見る
のとでは受ける印象が異なるように、絵画と写真のそれも同様なのである。その理由は写
真とは映ったままの姿を写し出したもので、絵画とは見たままの姿を描き出したものだか
らである。
 そんな香霖の言葉に私は噛み付いた。
「映ったままと見たままというのは同じことじゃあないか」
「それが全然違うんだよ。例えば魔理沙一つを取ったとしても、僕が見ているそれと写真
に映し出されたそれには大きな違いがある」
 同じ被写体を写真に残せば誰が撮っても同じものが写るだろう。しかし絵にした場合、
そこに残るものは描き手によって全く別の物になるだろう。技法の優劣のない二者が描い
たものでさえそうなのだ。つまり、人の目に映るものとは各人の持つフィルターのような
ものによって確実に異なってしまうということである。もし写真と見紛うような絵を描い
たのだとしても、そこに残される意味合いは写真のそれと全く別のものになるだろう。
 そんなごく当然のことを人は忘れがちである。自分の見ているものと人の見ているもの
を同じものだと錯誤してしまい、時にそれは致命的な間違いさえ引き起こしてしまうのだ。
映ったままのそれと見たままのそれ。その差異を認識することは世界の見え方を広げるこ
となのだ。そうやって広い視界を保つことは道具屋としての生活を充実させる為に欠かせ
ないことであることは最早言うまでもないだろう。
 香霖はそんなことを滔々と話しながらも、その間筆を操る手を止めることはなかった。
「ちょっと理解しがたいが……まあそれは良いとしてどうして裸婦画なんだよ。別に風景
を描いてもいいだろう」
「それはさっき魔理沙が言った通りの理由だよ。目で見たものを形に残すには技術がいる。
下手糞で見たままと違ったとしても意味がないからね。そしてデッサンの基本は裸婦画だ、
と前に外の世界の美術に詳しい妖怪に教えてもらったんだ。といっても裸を見せてくれ、
何ていえる友人はいないからね。魔理沙が志願してくれて助かったよ」
 そんなことを悪びれもせずにいうのだからどうやって怒ればいいのかもわからなくなる。
 とにもかくにも、こいつはそんな訳のわからない理由で真昼間から春画をまじまじと眺
めていたということだ。私にはもうそのことを突っ込む気力も残されていなかった。

 暫くの間沈黙が続いていた。聞こえる音は筆を操る音と、時折聞こえる香霖の唸り声だ
けである。口を開く元気はなかったが、無言で裸を眺められることの気まずさには勝てな
い。同じ体勢を取り続けた疲労もあり、私は香霖に声をかけていた。
「それで、絵を描いて何か新しい発見でもあったのか」
「そうだな……魔理沙が思ったいたより大きくなっていたことは発見といえば発見かな」
「なっ……どこ見て言ってるんだよ!!」
「どこって……全体的にだよ」
 思わず胸を隠した私に香霖は「手をどけろ」といわんばかりの視線を送り付け、そして
またキャンバスに向かい絵筆を振るい始める。
 しかし私は吹っ切れかけていた羞恥心がぶり返してしまい、とてもそんなことは出来そ
うにない。だが私の気持ちなど露も知らぬといったように香霖は一心に絵を描き続けるの
だ。
 そんな事態が収束を向かえるのは、夕飯をたかりに来た紅白に香霖が張り倒されるまで
待つことになる。 














                         『十一年後』

 本を読む手が止め私は帽子の鍔で耳を押さえた。まるで耳元で鳴いているのではないか
と思うくらいの喧しさで蝉は鳴き続ける。いくらなんでも今年の蝉は数が多すぎる。
「くくっ」
「……なんだ、香霖。人の顔を見て笑うなんて感じが悪いぜ」
「いや、魔理沙は変わらないなと思ってさ」
 そうして差した先には私の頭、いや帽子があった。少しだけ思案してみるが何をいって
いるのかわからない。
「結構変わったつもりだったんだがな。少なくとも香霖よりは」
「そうかい? 僕はこの一巡りの内にそれなりに変化があったような気がするよ」
「その変化と私の変化に違いはあるのか?」
「……ないな。そう考えるとずっと何も変わっていないような気になってくるよ」
「私は変わったけどな」
 香霖は苦笑して再び視線を本へと落とした。私は耳を押さえられなくなってしまうので
本を読むのは諦めた。
 しかし外の世界で絶滅したのが不思議なくらいにこの蝉の繁殖力は旺盛だ。正に奇跡の
蝉だ、と香霖はいうのだが、私には五月蠅いばかりだ。あの時も私はこうやって耳を――
(……ああ、そうか。そういう意味か)
 一つ思い出せば後は一瞬だった。十一年前のあの日の光景が矢継ぎ早に脳裏に甦ってい
く。何気ない日常、掛け替えのない日々。あの時の私は今こんな風に香霖と喋っているこ
とを想像していただろうか。
「そういえばあの時私を追い出したな。今日は追い出さなくていいのか?」
 私の言葉に香霖は渋面を作る。
「出来たらとっくにやっているよ。だが、もう追い出す先がないんだから仕様がない。そ
れにそんなことをしようとしたら逆に僕が追い出されかねないからな」
「ふん、わかってるじゃないか。だったらもう少し優しくしたっていいんじゃないのか?」
「あのなぁ……はぁっ、僕は選択を間違えたかな」
 ほれほれ、と香霖を促すと諦めたような顔で腰を上げた。入れ替わりで私の指定席へと
腰を下ろすと、その膝が私の席になる。
「おっとまだ私はその頁を読み終わっていないぜ」
「全く、こんなところを誰かに見られたらどうするんだ」
「全然問題ないぜ。だって私達は――」
 入り口からカウベルの音が鳴り響く。
 呆れたような表情で入ってきた紅白に私は大声でいってやるのだ。
「別にいいだろ、夫婦なんだからな!」
posted by sei at 04:12| Comment(1) | TrackBack(0) | SS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
どう考えても過剰な糖分補給。だが嫌いじゃ無いな!

大変楽しませていただきました。ありがとうございます。できれば、森近霖之助、魔理沙夫妻の日常をもっと読みたいなぁ、と(/ω \)…(/ω ・ \)チラッ
Posted by at 2011年10月12日 04:01
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