2009年01月04日

紫苑の産む幻想

香霖堂に訪れた紫が目に付けたのは一冊の本だった。

登場キャラ
霖之助 紫











 窓から緩やかな風が吹き込んでいた。開きっぱなしの本の頁がめくれ、ぱたぱたと音を
立てている。厳しい残暑もとうに過ぎ、窓から見える外の景色は紅く色づき始めていた。
 風が帯びる冷気に僕は思わず体をさする。昼間は感じなかった寒さをこの時間になると
実感する。妖怪の山にその身を隠し始めた太陽が店内も外と同じ色に染め出していた。
 僕は立ち上がって窓を閉めると、早めに出したは良いものの付ける機会のなかったストー
ブの前に立った。余り燃料の手持ちがないから使いたくはないのだが、さて。
「流石に暖房はまだ早いのではないかしら」
 扉を開いた音はしなかった。カウベルの音もまた然りである。だというのにいつの間に
か店の奥から現れたというのか――などということは今更気にしても意味がないことでは
ある。
「魔理沙にもいわれたよ。自覚はないが……僕は割りと寒がりなのかもしれないな」
 華美な服装の金髪の少女は僕の言葉にほんの少しだけ鋭い眼を緩めてみせた。彼女こそ
が幻想郷を統べる妖怪の賢者、八雲紫でありここ香霖堂の顧客でもある。ストーブの燃料
を貰う代わりに、彼女は店の道具を持っていくのだ。余り歓迎したい客ではないのだが、
他に確実に燃料を手に入れる方法がないので諦めている。
 紫は静かに傘を閉じると、何も言わずに店を見回り始める。今月分の代金の品定めをし
ているのだろう。ふと足元をみるといつの間にかストーブには燃料が満タンになっていた。
相変わらずどうやっているのかわからない。
 何を持っていくのか不安で仕様がなかったが、彼女を止めることなど出来ようはずもな
い。僕は自らの特技を駆使して不安を追い出すと、ストーブのスイッチを入れて椅子に座っ
た。

                            *

 どれくらいの時間が経った頃か、気が付くと対面に紫が座っていた。
「持っていく物は決まったのかい?」
「いいえ。まだ、ですわ。もう少し面白い物があるかと思ったんですが……あら?」
 彼女が目を付けたのは僕が読んでいる本だった。いや、目を付けたというと正しくない
のかもしれない。彼女は眉根を寄せて本の背表紙を睥睨していたからだ。笑顔が不吉な彼
女だが、それ以外の表情も余り縁起の良いものではないようだ。
「……興味があるのかい?」
「いえ、別にありませんわ。人間の都市伝説何てものには」
 僕が読んでいた本は彼女の口に上った通り、都市伝説の発生とその分布を考察するもの
だった。最近はこの手の本が外の世界で忘れ去られたらしく、既に何冊か同じような本を
拾っている。
 都市伝説といえばどこか大仰に聞こえるが、簡単にいえば近現代における民話のような
ものである。名称に都市と付いてはいるが、これは場所を意味するのではなく年代を表し
ているので、その発生は国や地域を問わない。つまり、幻想郷にも都市伝説というものは
発生しうるのである。
 そのことを興味深く思っていたのだが、目の前の妖怪は逆の印象を持っているようだ。
どちらにせよ本を持っていかれる心配はないようだ――と油断したのがいけなかったのだ
ろう。いつの間にか僕の手にあったはずの本は紫の両手に収まっていた。
「……返してくれないか」
「貴方は都市伝説の本質をわかっていてこんなものを読んでいるのかしら?」
 僕の嘆願は質問という形で一蹴された。無視を決め込もうにも不吉な笑顔が空恐ろしい。
 僕は単純に幻想郷における都市伝説の発生の可能性に思いを寄せていただけなのだが、
彼女が拘泥するということは、それ以上の意味があるということだ。
「それは妖怪と都市伝説の関係についていっているのかい?」
「わかってはいるのね」
 彼女は本を机の上に置いたが、手は本に乗せられたままだった。不吉な笑顔を見返して
も手を離してくれそうにない。正解に辿り着くまでは返してくれないのだろう。
 僕は溜息を付くと思いつくままに語り始めた。
「都市伝説、という用語が提唱されたのは最近のことらしいね。ただその形式は遥か昔か
ら存在していた。個別の都市伝説を調べてみるとその起源は神話や民話などに見られるよ
うに、都市伝説とは口承文芸の一つのパターンであるといえる」
 いってしまえば下らない噂話を多くの人々が信じ込んでしまった結果が都市伝説なのだ。
そして都市伝説と妖怪とは少なからぬ繋がりがある。
 都市伝説の本質が噂話である以上、そこには人の耳目を引く要素が必要となる。そして
その最も大きな要素とは即ち恐怖なのだ。そして人は恐怖を感じ取った時、容易に益体も
ない想像に走ってしまう。
 想像とは空想、妄想、予想、仮想、幻想とランクを付けることが出来るが、時に唯の空
想で終わってしまうはずの想像が幻想の域にまで至ることがある。下らない空想が多くの
人々に妄想され、予想されることによって肉付けされる。そしてそれは仮想されることで
形を持ち、とうとう幻想という実体を手に入れるのである。
「つまり妖怪の起源には少なからず都市伝説が関わっていることは想像に難くない」
 一区切り付いたところで僕は湯飲みに口を付けた。話が長くなりそうなので煎れたのだ。
「それだけで終わりではないですわよね」
 彼女はまだ本を返してくれる気はないらしい。指先で本を弄びながら、僕に続きを促し
てくる。
 僕は大仰に溜息を付いてみせたが、紫は気にした様子すらない。考えを語ることは嫌い
ではないのだが、彼女を前にするとどうにも見透かされているような気がする。教師に論
を発表する生徒になったような気分で、余り心地の良いものではない。
「妖怪を生む切欠になっていると思われる都市伝説だが、それらを殺す切欠になったのも
また都市伝説なんだろうと僕は思っている。その一つの証左が……そこにある本だ」
 紫の笑顔が少しだけ和らいだような気がした。無論、それでも不吉ではあるのだが。
「……概ね正解ね。都市伝説は都市伝説を殺す。そして都市伝説を殺された妖怪は外の世
界で住処を失って行ったわ」
 それは博麗大結界が生まれる前、僕がこの目で見た光景でもある。
 ――対抗神話
 それが都市伝説を殺したものの正体でなのである。
 
 気が付くと店内は薄闇に覆われていた。とっくの昔に陽は落ちて、今はストーブの火が
産む光が店内のぼやけた陰影を揺らしている。喋りすぎた所為か、それとも室内が暑すぎ
るのか。喉の渇きを覚えた僕は二杯目のお茶を煎れていた。
 ストーブを背にした紫の表情は暗がりに紛れ窺えなかったが、僕は少しだけ彼女の気持
ちがわかるような気がした。悠久の時を生きてきた彼女がその両の眼で見てきたものは、
僕が見てきたそれとは比べ物にならないだろう。彼女が幻想郷の為に心を砕くのもそこに
理由があるのかもしれない。
 対抗神話とはその名の通り、都市伝説に対抗し打ち消す為に作り出された都市伝説のこ
とである。その発生自体に不審な点はない。人の口に戸が立てられぬ以上、噂はどこまで
も広がっていくものだからだ。しかし僕はそこに疑問を覚えていた。まるで妖怪の存在を
否定するかのようにそれが作られている節があるのだ。
 一つ例を挙げよう。
 鎌鼬という妖怪がいる。雪国に多く住んでいた彼らは道行く人々を魔風となって切り裂
さいた。その被害者達は鎌鼬を恐れ慄き、その口に恐怖を上らせる。それが鎌鼬という妖
怪を強くしていた。
 しかし近代になって鎌鼬の存在を否定する風聞が生まれ始める。曰く、鎌鼬とは旋風の
中心に生まれる極めて低い気圧が肌を切り裂いている。妖怪の仕業にはあらず、と。
 これは元々活動地域を限定されていた鎌鼬の住処を更に奪う結果となり、いつの間にか
彼らを幻想の生物にしてしまった。
 しかしこの風聞には明らかにおかしいところが二つある。
 一つは鎌鼬とはどのようにして切られたのかわからないようにするものである。気圧が
原因だとするならば着物も一緒に切られそうなものだが、鎌鼬とはそのような妖怪ではな
い。
 そしてもう一つ、気圧が原因だとするならば、当然の如く鎌鼬の被害は旋風の起こりう
る全ての場所に分布していなければならない。しかしながら鎌鼬は主に雪国にその住処を
定めている。それ以外の場所、主に都市部では殆ど彼らを見かけることはなく、当然被害
に合った話など聞いたこともない。旋風が原因なら都市部における被害がないことはおか
しいだろう。
 よってこの風聞は都市伝説、それも鎌鼬という存在を打ち消す為に生まれた対抗神話で
あるといえるのだ。しかしそうなるとまた一つ疑問が生まれる。この対抗神話は生まれる
理由に乏しいのだ。激しい気圧差が時に人を切り裂く刃物となる、などと誰が噂話に上げ
るだろうか。例え上げた人がいたとしても、面白可笑しくない話は直ぐに人々の頭の中か
ら消えてしまうはずだ。そこにこの話の裏が見えてくる。
 生まれるはずのない噂、そこには人為が関わっていることに間違いは無い。何の目的で、
何てことは最早考えるまでもないだろう。
 そう、この対抗神話は鎌鼬の存在を打ち消す為“だけ”に作られた物語なのだ。
 この結論に至ることで都市伝説というものの顔が見えてくる。名前のないものがある一
つの側面を持つことで創造と破壊の力を有することになる。それはいうまでもなく神の力
のことを意味する。つまり都市伝説とは、外の世界の人間が神の力を借りて作り出した妖
怪を放逐する為のシステムなのではないかと僕は思うのだ。
 妖怪は心のどこかで人間を恐れている。頭の良い人間を、妖怪の理を突き崩すことの出
来る人間の力を恐れている。もしかするとそのような人間が生まれることを恐れ、目の前
の妖怪は幻想郷に人の歴史が作られることを阻んでいるのかもしれない。
「というのは冗談だが……」
 そういって顔を上げた僕が見たものは、今までになく不吉な笑顔だった。 
「そう、ですから私は……貴方のことも恐れているんですよ」
 微塵の感情も感じさせない満面の笑み。もしかすると僕の思考は辿り着いてはいけない
ところにまで及んでしまったのだろうか。
「貴方はとても頭が良いから……もしかするといつか私達にとってよくないことをしでか
してしまうかもしれない」
「……だとしたら僕をどうする気だい?」
 唾を飲み込もうとして、口の中が乾ききっていることに気が付いた。暑いからでも喋り
過ぎたからでもない。緊張していたからこそ口の中が乾いていたのだと知った。
「そんなに怯えることはないでしょう? 別に危害を加える気はありません。もっと簡単
な方法があるんですもの」 
「それはどういう――」
 次の瞬間、ふわりとした細い金糸が鼻先をくすぐっていた。眼前には白皙の肌と紫立っ
た瞳が大写しになっている。僕と紫の視線が交錯する。その瞳に微笑が孕んだ時、僕は彼
女と唇を重ねていることにようやく気が付いた。
 僕が正気に返ったのは馴染みのある音と、光があらぬ方向からやってきてからだった。
 そっと唇が離れていく。紫は悪戯に笑みを浮かべていた。思わず視線を向けた彼女の唇
に、初めてその柔らかさを感じたように思えた。
「それは……なんだい?」
「嫌だわ、貴方。知っていらっしゃるのにそんなことを聞くだなんて」
 彼女の手には縦長で艶のある色をした機械が収められている。先ほどの音と光を発した
機械だ。僕の目はそれを『カメラ付き携帯電話。電話と写真を撮ることが出来る』と判じ
ていた。
 僕は……はめられたのだ。彼女が僕に向けた機械には、どういう仕組みか今撮ったばか
りの写真が写っている。唇から下しか写っていない為、人物を判定できるほどのものでは
ないが、服装や周りの様子から誰と誰だと推測することは容易いだろう。
「都市伝説には都市伝説を。香霖堂の店主は八雲紫と昵懇の間柄である、そんな噂話が流
れたらどうかしら? こんな写真でも新聞に載ってしまえばあっと言う間に真実にされて
しまうでしょうね」
 つまり紫はこういっているのだ。貴方がいくら妖怪を否定する文言を連ねたとしても、
その背後に妖怪がいるのでは説得力などなくなってしまうのだと。
「僕にそんなことをする気は毛頭ない、といっても聞き入れてはくれないのだろうね」
「さあ、どうかしら」
 口元を隠して笑う紫の思惑は知れない。だが、彼女は僕を試しているのだと何故かそう
直感が告げていた。対応を誤るととんでもないことになってしまう。そんな気がするのだ。
「君がその気なら……僕はこうするだけだ」
 僕は咄嗟にカメラを持つ紫の手首を掴んでいた。僕の反応を予想していたのかどうか、
紫は同時に残った手で僕の手を掴む。その細腕にどれだけの力が込められているのか、た
だ添えられているだけだというのに、僕は彼女の腕を一寸たりとも動かすことは出来ない
でいた。
 紫は嘲笑を浮かべる。僕の反応を予想していたのだ。しかしその後のことまではわから
なかったのだろう。口を開きかけていた彼女に僕は――
「……んっ」
 紫は完全に油断していたのだろう。紫の瞳は縦に大きく開かれていた。
 今度はその唇の柔らかさを感じる余裕があった。何故か先ほどよりも柔らかく、瑞々し
いものだと思えた。
 手を掴んでいた力が抜ける。僕はそれを感じ取ると、カメラを取ることもなく彼女から
体を離した。
 呆然としている紫に僕は口を開く。
「都市伝説には対抗神話を。その時は僕が幻想郷の賢者たる八雲紫と恋仲だという風聞は
事実である、という噂話を流すとしよう。君の後ろ楯があると知った人々は、きっと僕の
言葉を有難がって聞いてくれるんじゃないかな」
 暫く言葉を失っていた紫だったが、次に彼女の口から漏れ出したのは小さな笑みだった。
それは彼女が始めてみせた表情で、底抜けに恐ろしい顔だと思った。
「貴方は本当に面白い人ですね。冗談、冗談ですよ。幻想郷は全ての幻想の集う場所。都
市伝説も対抗神話さえも飲み込み、これからも妖怪の天下は続くでしょう。貴方の連ねる
言葉くらいでは幻想郷に蟻の隙間ほどの綻びすら生み出せないでしょう」
 彼女の笑みは邪気のないもので、本当に腹の底から可笑しいのだと告げているような笑
い方なのだ。僕は唯、黙って彼女を見返すことしか出来なかった。
 紫はそんな僕を置き去りにするようにさっと立ち上がる。
「とても有意義な時間でした。またお会い出来る日を楽しみにしていますわ」
 声をかける暇もなく、彼女は隙間に飲み込まれ消えていった。伸ばしかけていた手を力
なく机の上に降ろし、不吉な会話の端緒となった本に触れた。
「そういえばあれは……僕が拾ってきたものだった」
 我に返った僕が思い出したのは、彼女が手にしていた小さなカメラのことだった。

                            *

 結局のところ、彼女が気に入らなかったのは人間の傲慢さだったということなのだろう。
 外の世界では既に都市伝説も対抗神話もその存在を否定されている。都市伝説のような
想像を憑拠にした想像とはただの空想でしかないからである。その空想を否定するのだか
ら対抗神話には意味があるように思えるのだが、空想を空想によって否定することは新た
な空想を産むだけなのだ。結局、それはただの妄想でしかないのである。
 しかし僕の考えが正しいのであれば、外の世界の人間が都市伝説を放棄したことには別
の意味がある。妖怪がいなくなったからただ使わなくなっただけ、ということだ。そこに
彼女は傲慢さを感じ、僕は叡智を感じ取った。その違いは僕に流れる人間の血がさせるの
か、それとも道具屋という職業柄なのか。考えてみても結論は出なかった。
 僕は本を閉じると窓を開け放った。暖まり過ぎた室内に入り込む秋風が頬を撫でていく。
換気が済むと僕は灯かりを付け、今日の出来事を書き記すことにした。
 書いている内に頭をもたげて来るのはあの出来事だった。
 僕の行動は早計だっただろうか。あの時試されていると思ったのは勘違いで、僕はとん
でもないことをしてしまったのではなかろうか。そんなことばかりが繰り返し脳裏を通り
過ぎていく。不吉でない笑みを浮かべる紫、そのこと自体が不吉なことに思えて仕様がな
いのだ。
 僕は日記を書き終えると、窓を閉めストーブを消した。
 今年の内で彼女がやってくるのは一度か、二度か。恐らくそれくらいだろう。その時に
何が起こるのか、起こらないのか。それはわからなかったが、余り考えても仕様がない。
 次の月までの短い間、本でも読んで待つこととしよう。









posted by sei at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | SS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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