2008年11月30日

拍手まとめ

メイン登場キャラ
霖之助 妖夢 椛 霊夢 鈴仙












 白玉楼の庭はとてもとても広い。それはもう一人では手入れが追い付かないくらいだ。
だがその忙しさはある意味救いにもなっていた。剣術指南役としての役割を全く果たして
いないことの言い訳に庭師をやっている訳ではなかったが、それでも仕事があるというの
はありがたいことだ。幽々子さまの世話係などと言われぬよう、せめてこの仕事だけはきっ
ちりとやりたかった。
 ――だってそうしないといつまでもあの人に半人前扱いされてしまうのだから
「妖夢ー、妖夢ー?」
 そんな私の思惑など意に介さず、いつも通りの幽々子さまの間の抜けた呼び声が響いた。
 私はがっくりと項垂れつつも、道具を置いて幽々子さまの元へと向かった。
「どうしたんですか、幽々子さま」
「これよ、これ。一緒にやりましょう?」
「なんですか、これ?」
 将棋盤にしてはやけに大きいそれは、普通の物の倍はあるだろうか。数えてみると縦横
十五枡もある。本将棋が九枡なのだから大きいはずである。
「知らないの、妖夢? これは大将棋っていうのよ」
「はあ、そういうものがあることは知っていますけど。でも何でいきなり大将棋なんです
か?」
 当然の疑問だとは思うのだが、幽々子さまは呆れたように溜息を付いた。
「駄目ね妖夢は。そんなんだから音速が遅いとかいわれちゃうのよ?」
「それをいわれたのは幽々子さまです」
「あら、そうだったかしら……? まあいいわ。大将棋をやる理由はね、どうも幻想郷で
流行っているらしいのよ」
「そうだったんですか。でもこれ……一回やるのに物凄く時間がかかりそうですよ? 何
でこんなものが流行っちゃったんでしょう」
 本将棋なら一局に一刻もかからないだろうが、大将棋は下手をすると数刻はかかりそう
に思える。ちょっとした息抜きに、何てとてもじゃないがやっていられないと思うのだけ
れど。
「うーん、私もよくわからないんだけど、紫は香霖堂の店主がどうとか言ってたわ。まあ
幻想郷には暇人が多いってことでしょうね」
「りん……香霖堂ですか?」
「ええ。あそこの人も暇しているみたいだから、きっと暇人が集まって来るんじゃないか
しら?」
「……やりましょう!」
「え?」
「やりましょう、大将棋! すぐ、やりましょう」
「どうしたの妖夢、急にはりきっちゃって」
 幽々子さまは私の剣幕に少し引いていたが、そんなことを構って入られなかった。
 これはチャンスなのかもしれない。こう見えて幽々子さまは恐ろしく長生き――まあ死
んでではいるけれど――されているのだ。こういう遊戯などお手の物のはずだ。
 幽々子さまと特訓してあの人に勝負を挑む。例え勝てなくても良い。少しでも善戦をす
ればあの人も私を見直してくれるかもしれない。
「幽々子さま、まずは駒の動かし方を教えてください!」
「え、ええ。いいけれど……」
 少しだけ生まれた距離を意に介さず、私は幽々子さまに詰め寄っていた。

                            *

 私は意気揚々と香霖堂の扉を開いていた。鳴り響くカウベルの音さえ私を祝福してくれ
ている気がする。
 猛特訓の結果、私は幽々子さまにお墨付きを貰えるほどに大将棋の腕前が上がっていた。
結局、幽々子さまには一度も勝てなかったが、それなりには上達したはずだ。
 いつも通りに本を読んでいた彼の前に立つ。今日こそ、この人に私のことを認めさせて
みせるのだ。
「店主さん店主さん」
「いらっしゃい。なんだい妖夢」
「私と大将棋しませんか?」
 相変わらず暇そうにしているので、きっと断られることはないだろう。
「ああ、いいよ。だがその前に店内の掃除を頼めるかな? ちょうど今やろうと思ってい
たところなんだ」
「ぐっ……わかりました。でも終わったら直ぐに勝負ですよ?」
「わかってるよ」
 この程度のことは織り込み済みだ。お尻に根を生やしながらも平然と嘯いてみせること
くらいは。
 私は箪笥から三角巾とエプロンを取り出す。何故か私専用として置いてあるそれらに疑
問を覚えなくもなかったが、細かいことは考えないことにした。涙が出そうになるから。
 しっかりと三角巾を締めると、置いてある道具に布巾をかける。まずははたきがけから
だ。腕まくりをして気合を入れると、直ぐに終わらせるべく掃除を始めるのだった。

 完璧だ。これなら絶対に文句はいえないだろう。店内どころか居住スペース、それも寝
室やお風呂から厠まで、これ以上とないくらいに磨き上げてやったのだ。
「掃除終わりました」
「そうか、なら周囲の草抜きも頼むよ」
 ――カタン
 手から離れた竹箒が乾いた音を立てた。
 ふふ、ふふふふっ。わかっていました、貴方はそれくらいのことはいう人だということ
は。やりましょう、やってあげましょうじゃないですか。こう見えて私は白玉楼の庭師、
この程度の庭の手入れなど赤子の手を捻るようなものです!
 私は燃えていた。これが前哨戦だというのなら、それを乗り越えてみせるのだと。
 傾きかけた陽に照らされながら、私は荒れ果てた庭に降り立った。

 完全に陽は沈み、天穹に星々が散りばめられた頃、私はある種の充実感を覚えていた。
 庭なのかそれとも森の一部なのかもわからなかったその場所が、私の手によって本来の
姿を取り戻したのだ。一介の庭師として、自分の仕事に誇りを持てる瞬間だ。
 贅沢をいうのならば全体の調和を保つために、空いた場所に何本か植樹したいくらいな
のだが、流石に一日で出来ることではない。ここまでのことをやったのだから、まずは上々
といったところだろう。
 私は薄汚れた三角巾とエプロンを握り締めると、決戦の場たる店内へと歩みを進めた。
「終わりました」
「ああ、ちょうどよかった。今準備を終えたところだよ。直ぐに手を洗ってきなさい。一
緒に夕食と洒落込もうじゃないか。今日は鍋にしたんだ、最近冷え込んできたからね」
「あ、はい。直ぐに洗ってきます」
 打って変わったように軟化した態度に違和感を覚えたが、確かにお腹は空いていた。も
う何時間も働きっぱなしだったのだ。
 手を洗う前に汚れた三角巾とエプロンを灰汁を混ぜた水につけておくことも忘れない。
こうすると汚れがよく落ちるのだ。
「ではいただきます」
「いただきます」
「どうかな、今日は貰った山菜で鶏鍋にしてみたんだが」
 小皿に取り分けてもらい、口に運ぶ。じっと見られているのが少し気恥ずかしい。
「……美味しいです。何ていうか素朴で、でも出汁がしっかり聞いているから薄味という
のでもなくて……そばがきが入ってるのが面白いですね」
 お世辞ではなくとても美味しかった。ずぼらに見えて、仕事はきっちりとこなす。道具
屋としての矜持なのか、それともそういう性格なのか。とにかくとても美味しい鍋だった。
「そうかい、気に入って貰えたようでよかったよ。さ、遠慮せずに食べなさい」
「あ、はい。頂きます」
 ずっと外にいて冷えた身体を芯から暖めてくれる。そんな食事に疲労感も忘れて、私は
ゆっくりと流れていく時間を楽しんでいた。

 妖しく光る月の光に照らされて、私は店の前に立っていた。
「すまないね、遅くまで引き止めてしまって」
「いえ、こちらこそ夕食ご馳走様でした。とても美味しかったです」
「何、君にしてもらったことに対する細やかなお礼だよ。あと良かったらこれも持って行
きなさい。昨日作った煮物だが、良く出来たのだけれど作りすぎてしまってね。明日の朝
食にでもするといい」
「わざわざありがとうございます。幽々子さまと一緒に頂きます。それでは失礼しますね」
「ああ、おやすみ。もう暗いから気をつけて帰るんだよ」
「はい、おやすみなさい」
 挨拶を済ませると、墨汁を撒き散らしたかのような空に向かって飛び上がる。本当に月
が出ていなかったらどこに向かって飛べば良いのかわからないほどの暗さだ。微かな光を
放つ半霊が茫と闇夜に浮かんで見える。
 冥界に向かって飛びながら、私は眠気と闘うのに必死だった。一仕事を終えた後の心地
よい疲労感に加えてあの暖かな食事。帰ってお風呂に入って、そして布団の中に入る。そ
のことを考えただけで幸せな気分になってしまうくらいだ。
 今日は良い一日だった。それは間違いない。でも待って。何か、何か重要なことを忘れ
ているような……?
 睡魔にじゃまされて冷静な思考が出来ない。そもそも私は香霖堂に何をしに――
「あ……」
 思い出した。そして思い出すのと同時に私は慟哭していた。
「ちくしょっぉぉぉぉーーー!!」
 夜空に私のはた迷惑な叫び声が木霊していた。

                            *

「あ、妖夢お帰りなさい」
「幽々子さま! 店主さんが酷いんですよ!」
 勢い込んで幽々子さまに愚痴を言おうとした私だったが、伸ばされた腕に遮られた。
「ごはん……待ってたんだからね。なるべく早くお願いね」
「……クスン、わかりました。とりあえずこれで繋いでおいて下さい」
「あら、美味しそうな煮物。じゃあ妖夢、頼んだわよ」
 煮物を入れた器を持って幽々子さまは歩いていった。
 はあ、私っていつもこう。どうしたらこの性格は直ってくれるのだろうか。
「あ、そうそう。妖夢、庭仕事やりっぱなしで出かけたでしょう。駄目よ、そんなことじゃ。
だから皆に半人前だってからかわれるのよ?」
「うう、しくしく。気を付けます……」
 たて続けに襲い来る出来事に、私の精神は限界だった。それでも幽々子さまの食事を作
らない訳にもいかず、ふらつく体に鞭を打って台所へと向かうのだった。









この話は某所12日目、271さんの書かれた会話を脚色させていただいたものです。











 
 
「大将棋をしませんか?」
 彼の顔を見て一番最初に口にした言葉がそれだった。ゆっくりと尻尾を左右に振りなが
ら、顔色を伺う。
 ――挨拶もなしに不躾な
 ――今日は忙しいんだ、主に本を読むのに
 などと呆れ顔で一蹴される。そんな反応は予想出来ていたが、それでもこの人に対して
は簡潔に問うのが一番であることはわかっていた。
 だが予想に反して彼は、森近霖之助の反応はごくあっさりとしたものだった。
「ああ、良いよ」
「……珍しいですね、あっさり了解して下さるなんて」
 思わず尻尾がぴんと立ってしまう。ある面では不精を体現しているといっても良いくら
いの人なのだ。
「うん? 嫌かい?」
「いえ、嬉しいですよ」
 とはいえ了解してくれたことに文句はない。尻尾を背中につけ左右に振り笑みを浮かべ
てみせる。普通の将棋なら勝ち目はなくとも、大将棋なら話は別だ。自慢ではないが、暇
を持て余して大将棋をやった数なら幻想郷で三本の指に入ると自称しているくらいなのだ。
次点は河童と仲間の天狗たちだが。
「だが……ただ大将棋をやるだけじゃ面白くない。また何かを賭けようじゃないか」
「……何を企んでいるんですか?」
 尻尾がゆっくりと振れる。あっさりと話に乗ってきたことと良い、賭けのことといい疑
念が再びもたげて来る。当の本人はと言うと感情の読めない飄々とした表情を浮かべてい
た。
「まあ、良いでしょう、その勝負受けてたちます」
 何を企んでいるにせよ、勝ってしまえば問題はないのだ。わざわざ山から持ち出した馬
鹿でかい盤を使いもせず持ち帰る愚を冒すこともない。
 私は自分の勝利を確信し、不敵な笑みを浮かべて見せた。

                            *

「ふふふ……私の優勢の様ですね」
「その様だね」
 序盤でここまで形を作れれば、後の趨勢も決まったようなものである。
 思ったとおりに彼は大将棋には慣れてはいなかった。何時ものような持ち駒を使った奇
抜な戦法は望むべくもないし、不慣れな動きをする駒にも苦戦している。
 見え始めてきた勝利に思わず尻尾が激しく振れる。駒を打つ手にも力が入るというもの
だ。ぴしゃりと気持ちの良い音を鳴らすと、彼の顔は渋面に歪んだ。

 だが勝負が中盤に入るといつの間にか状況が一変していた。序盤に死に体だったが相手
の駒がここに来て活き始めたのである。
「むむむ……」
「勝負はこれからだよ」
 これはビギナーズラックというものなのか、それともまさか最初からこの形を考えてい
たとでもいうのだろうか。
 仲間との勝負でも見たことのない局面に緊張が走り、尻尾は屹立しきりだ。最早先の展
開は読めない。ここまで場を荒らされてしまえば定跡など役には立たないからだ。
「これでっ……」
 奇手には奇手を。敢えて普段なら打たない手を指す。こうなったら混戦だ。相手が荒ら
しにかかるなら、こちらもそこに乗っかるまでだ。最後には経験の差が生きるはず、そこ
に勝機を見出すしかない。
 ――勝負です!
 力強く打たれる駒。その手の意図は絶対に読めないはずだ。
 だが彼は私に柔らかな笑みを返すと、悠々と駒を動かすのだった。

 盤面の状態は最早惨状という他に表現の方法が存在しなかった。場を荒らすだけ荒らし
ておきながら、それすらも彼の手の内だったのだ。その挑発に熱くなった私は彼の思惑に
乗ってしまい、あっさりと本陣をさらけ出してしまった。まるで覚えたての子供のような
情けない負け方だというしかない。
「くぅ〜ん……」
 穴があったら入りたいとはこのことだ。あれだけ意気揚々と勝負を挑んでこんな決着に
なってしまうなんて。思わず泣きが入ってしまった私を、彼はしてやったりといった表情
で笑っていた。
「僕の勝ちのようだね。さて、賭けの内容だが……どうしたものかな?」
「くっ……約束は約束です。何でも言ってください」
 あからさまなにやけ顔に、とんでもない要求を突きつけてくることはわかっていた。
「そうかい、どうやら覚悟は出来ているようだね。まあ、女性が求められることなど一つ
しかなかったかな?」
「ええ、どんなことでもやる覚悟を――ってえええっ!?」
 驚く私を置き去りに、彼は入り口の札を『閉店』に掛け変えた。
 ――カチャリ
 静まりかえった音にやけに大きく鍵のかかる音が鳴り響いた。
 彼が私の前に立った時、思わず喉を鳴らしてしまった。
 古今東西、この手のことで男性が女性に求めることは唯一つしかない。ああ、私はここ
で散らされてしまうのか。
 決して嫌ではない。嫌ではないのだが――何より初めての経験だ。不安がない訳がない。
股のの間から通した尻尾を抱きしめることで何とか平静を保てていたが、逆に言えばとて
も尻尾から手を離せそうにないとも言える。
 心臓が嫌になるほど体中に血液を送り始め、西班牙風邪にでもかかったように頬は熱を
発していた。
「覚悟は出来たかい?」
「かかか、覚悟と言われても……」
 どもってしまう私に彼はある種、哀れみの色を含んだ視線を向けた。
「もしかして……自信がないのかな?」
 かっと頬が熱くなった。いくら私でもここまで言われて黙っているわけにはいかない。
「馬鹿にしないで下さい! そりゃ哨戒部隊に所属していてがさつに見えるかもしれませ
んが……少なくとも文様よりはよっぽど私の方が女性らしいです!」
「なるほど、自信満々といったところか。じゃあ何も問題はないということだね?」
 誘導されたことに気付いても既に後の祭りだった。あれだけ威勢良く啖呵を切ってしまっ
ては、もう後戻りなど出来るはずもない。
「わ、わかりました。私も女です、いつかはやることが今日になっただけのことです。さ
あ、やるなら早くやりましょう。どうすればいいんですかっ!?」
 半ばやけくそになって言葉を連ねる私に、
「まずは――服を脱いでこれを着てもらおうか?」
 差し出されたそれに私は思わず目を見開いていた。どんなことでもしてやろうじゃない
か、などと覚悟を決めた矢先だったが、それは余りにも想像の遥か上にあった。そう彼の
手の中にあったもの、それは眩しいくらいに純白の可愛いフリルの付いたエプロンだった
のだ。
 ――そんな、いきなりマニアックな!?
「……え、ええと?」
「さ、早くしてくれないか。勝者の特権なんだから、文句は言わせないよ」
「も、文句とかではなく……その初めては普通がいいというか何と言うか……」
 ごにょごにょと口の中から出なかった言葉は、当然彼の行動の妨げにはならない。無理
矢理エプロンを押付けられた私は、懇願するように上目遣いで彼の顔色を伺ってしまう。
「いやあ、楽しみだ」
 しかし余りに嬉しそうな顔を浮かべる彼に、私は何も言えなくなってしまうのだ。
 大きく深呼吸をする。
 ――よし!
 覚悟を決めた私は上着の袖から腕を抜いた。

                            *

 私は泣いていた。さめざめと泣いていた。
 そんな私の様子をどう思っているのか、全く悪びれた様子を見せない。
「ふぅー……君のいうことは間違いなかったよ。満足だ、確実に君は女性らしいよ」
 紫煙を燻らせながら、気怠げに息を付いている。
「クゥゥゥ〜ン……」
 悲しげに泣こうが、恨めしげに睨みつけようがどこ吹く風だ。
 確かにどんなことでもするといった。その覚悟もあった。だが――まさかここまで女と
しての尊厳を傷つけられることになるとは思わなかった。
「ほら、手が止まっているよ。確かに満足は満足だが、まだやることは残っているだろう?」
「わ、わかってます! やればいいんでしょう、やれば!」
 私は彼の脱ぎ散らかした服をかき集め――全てをたらいにぶち込んだ。
「いや、本当にここまで出来るとは思っていなかったよ。余りにも店の中が散らかってき
たんでどうしたものかと頭を抱えていたんだ。今日君が来てくれなかったら、何日かは店
を閉めなくてはいけないところだった。まさに渉りに船という奴だ」
 勝負の後、エプロンを着ようとした私に箒とちりとりが渡された。困惑の渦から混沌の
坩堝へと叩き落された私に彼の放った言葉とは、
 ――まずは掃除から頼むよ
 全てを理解した私は泣いた。さめざめと泣いた。泣きながら掃除をする私を見て、彼は
本当に不思議そうに首を捻っていた。
 土間で大量の服と格闘しているとより一層惨めな気分になってくる。
 背後で、カン、と景気の良く煙管から灰を落とす音が聞こえた。
「はぁ……」
 溜息が付いて出る。本当に彼は全くこれっぽちも私のことを女性として見てはくれてい
ないのだろうか。
「おや、お疲れかい?」
「……そうですね」
 背中にかけられる声に生返事を返す。今更恨み言をいってもしょうがないし、まともな
返事を返す気力もなかった。
「ああ、頼みごとはそれでお終いだからまあ頑張ってくれ。夕飯は僕が作っておくから、
今日は食べていくといい」
「……そうですね」
 これが終わったらもう帰ろう。これ以上惨めな気分になるのは御免だ。
「だがしかし本当に君は家事が上手いね。いいお嫁さんになりそうだ。これなら――」
「……そうですね」
「――これなら僕が貰いたいくらいだよ」
「……そうです――ね、え?」
 今何か凄く重要な言葉をさらりと言われた気がする。幻聴や白昼夢の類でないのだとし
たら、とても聞き流せない大切な言葉を。
 思わず振り返った私に、しかし彼は背を向けていた。紫煙を燻らせながら悠々と本を読
んでいる。そこに特別な何かを感じてしまうのは私の思い込みなのだろうか。
「い、今なんて……?」
「さて、何かいったかな」
 煙管の音が鳴った。灰を落とすには余りにも早いペース。そこに意味を感じてしまうの
が、そっぽを向いたままの彼の口調に何かを感じてしまうのが私の思い込みなんだとして
も、それは確認しなければならないはずだ。
「もう、洗濯終わりますから」
「……え?」
「直ぐに終わらせてしまいますから……だから、ちょっとだけ待っていてくださいね」
 ――カン
 また一つ景気の良い音が鳴らされた。私はその素直ではない返事を聞いて、更に手の動
きを早めていた。








 この話は某所12日目の186、187さんの書かれたプロットを元に書かせていただいたものです。










この話は26スレ161さんのプロットを元に書かせていただいたものです。
 痛い系の話なので耐性のない方は読み飛ばすことをお勧めします。











 銀色の軌跡を走らせると、紅の花が咲き乱れた。
 柔らかな肉を切り開く気持悪い感触と、腹腔に異物が進入する感覚に吐き気を覚えた。
 ――ごぽり
 口からは粘液質の液体があふれ出す。身体が震え、歯も噛みあわずがガチガチと音を立
て始める。それでも僕は腕を振るうのを止めなかった。二度三度と繰り返す内に血が足り
なくなって視界が暗転した。
 包丁が手から零れ落ちて甲高い音を立てた。それを追いかけるように、僕の体は重力に
従って地面へと投げ出される。
 生暖かい体液の海に埋もれながら僕は考えていた。果たして一体何がしたかったのだろ
うか、と。
 全てはこの日の為にあったはずだ。入念な計画を立て、迷いもなく実行したのではない
のか。その結果が寝室に転がっているじゃないか。だとすれば、全てを終えたからこうし
て自らの手で始末を付けたということなのか。
 わからない。今となっては何もかもがわからない。
 僕は――後悔しているのか?
 だとすれば、何に? 結果に? 行為に? それとも――好意に?
 少しずつ命の灯が消えていくのがわかる。瞬きの間に僕は冥界へと転げ落ちていくだろ
う。そのこと自体には後悔はない。ある訳もない。
 ただ、自分が最後の最後で何に惑ったのか。それがわからないことは心残りだった。
 深く、深くへと闇に沈んでいく意識の中で僕はそのことだけを考えていた。

                            *

『御結婚、おめでとうーー!!』
 クラッカーの音が煩いほどに鳴り響く。余りにも至近距離で鳴らされたから酷い耳鳴り
がしたが、今日の私にはそれを怒る気分にはなれなかった。隣の紋付袴姿で嫌そうに耳を
塞いでいる人を見るだけで幸せな気分になってしまうからだ。
「しっかしお前らがくっつくとはなー。私としては娘と息子を同時に送り出すような複雑
な気分だぜ」
「誰が魔理沙の娘なのよ」
「息子でもないよ」
 私と彼の言葉が重なる。それを聞いて皆が声を上げて笑った。
「全く、お前らお似合いだぜ」
 やれやれと肩を竦める魔理沙に私は「ありがと」とだけ言った。

                            *

 服を脱ぎ捨てると私は布団に身を投げ出した。結婚式とは名ばかりで、結局はいつもの
宴会になってしまった。騒がしいのが嫌いな彼はずっと渋面だったが、今日くらいは我慢
してもらってもバチは当たらないだろう。
「あー、疲れたー」
「こら、霊夢。新婦があんまりだらしない格好をするものじゃないよ」
「あらやだ。見てたの?」
 確かに襦袢姿で伸びをするのは我ながらはしたなかったかも。笑って誤魔化そうとして
みるが、彼は呆れたように口に手を当てた。
「見てたも何も、ここは僕の寝室だ」
「違うわ。今日からは私達の寝室よ」
 そういうと彼は――霖之助さんは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「今日から……だって? 僕の記憶が正しければかなり前から君のものになりかけていた
ような気がするんだが――」
 最後まで喋らせてなんかやらなかった。投げつけた枕は狙い違わず霖之助さんの口を塞
いでいた。
「もうっ、霖之助さんったらやらしーんだから! 最初に私をこの部屋に引きずりこんだ
のは誰なのよ?」
「確かに最初に誘ったのは僕だったけど……その後に誘われた回数を考えると――」
「わーわー! もう言わなくていいわ!」
 今日の霖之助さんは意地悪だ。もしかして騒がしすぎた結婚式のことを恨んでいるのか
もしれない。何だかんだで幻想郷から冥界から物凄い数の人が来てくれたのだ。まあ人と
言うか殆ど妖怪だったけれど、祝いに来てくれたのは純粋に嬉しい。例え妖怪神社と言わ
れようと今日だけは許せてしまうくらいに。
「妻にはもっと優しく接してよね、あなた?」
「夫に優しい妻であるなら、僕だってそうしているさ」
「むぅー、どこが優しくないのか教えて欲しいわ」
 足をばたつかせながら霖之助さんを睨んでやると「ごめんごめん」と言ってまた苦笑し
た。それでも私が不貞腐れていると、
「悪かったよ。今日は僕も気分が浮ついているみたいだ。許してくれないか?」
「許してあげない」
 ぷいっと横を向く。本当に怒っているわけではないが、少しはお灸を据えないと霖之助
さんも調子に乗ってまたからかってくるかもしれないし。
「どうしたら許してくれるのかい?」
「ふんっだ。わかってくる癖に、いつもそうやって誤魔化そうとして」
「……そうだね、悪かったよ霊夢」
 霖之助さんは私を抱き起こして優しく唇を重ねた。本当に一瞬だけの、触れるか触れな
いかの淡い口付け。霖之助さんの想いが伝わってくるような、そんな気がする口付けが私
は好きだった。こんなことで誤魔化されちゃうんだから、私も結構単純なのかも。
「しょうがないわね。許してあげるわ」
「ありがとう、霊夢」
 さらっと私の髪を撫でて霖之助さんは立ち上がった。
「まだ寝ないの?」
 そういえば霖之助さんは寝巻きを着ていない。いつものあのどうやって着るのかもわか
らない変な服に着替えている。まさかこんな時間から店を開けるなんていわないだろうけ
れど。
「ああ、今日はちょっと寝れそうにないからね。何て言ったって、結婚初夜だからね」
「うー、またいやらしい話に持っていく気?」
 唇を尖らせると慌てて霖之助さんは首を振った。
「違うよ。今日はどうしても君に言いたい言葉があったんだ。今夜は君と話をしたいと思っ
てね」
「……うん」
 こんなこと人には恥かしくていえないが、結婚前に私と霖之助さんは大抵のことは済ま
せてしまっていた。言葉を重ね、唇を重ね、心を重ね――そして身体を重ねた。
 だから結婚式というのも形式的なもので、どちらかというとお披露目の意味合いの方が
強い。
 それでも一つだけ、たった一つだけ私は霖之助さんから聞いていない言葉があった。私
だけが一方的に連ねていった言葉、その返事を求めてもいつも曖昧に誤魔化されてしまっ
ていたのだ。
 霖之助さんは背を向けて歩みを進める。一歩、二歩と何かを噛み締めるかのようにゆっ
くりと進んでいく。そのまま部屋を出てしまうのかと一瞬思いかけたところで、ぴたりと
足を止めた。
「霊夢、僕はね――」
 ――霖之助さん、私も……
 彼の言葉に答えようと口を開きかけた時、霖之助さんは芝居がかったとすら言える仕草
で大仰に振り返った。
「僕はずっと嘘を付いていたんだ」

 突然に訪れた静寂の中を、鈴虫の鳴き声が煩いくらいに聞こえていた。
 私は馬鹿みたいに惚けてしまっていて、開きかけたまま閉じることが出来ないでいた。
 上り詰めた階段の頂点から突き落とされたような気分だった。
 ――ボクハズットウソヲツイテイタンダ?
 頭で理解することは出来ないその台詞。しかし背筋には氷柱を差し込まれたような悪寒
が走っていた。それでも信じられなくて、私は首を傾げることしか出来なかった。
 聞き間違いじゃないかって、「嘘だよ霊夢、意地悪してごめん」そんな言葉が返ってく
るんじゃないかってそんな淡い期待を抱いていたのだ。
「え……?」
「ははっ、あははははははは。はははははははははははははははっ」
 そんな私を見て霖之助さんはただ笑っていた。透き通るような綺麗な笑顔で、童子のよ
うに声を上げて笑っていた。
 思えば彼の笑い顔を見たのはこれが初めてなのではなかっただろうか。苦笑することさ
えあれ、こんな嬉しそうな顔をしたことが果たしてあっただろうか。
「霖之助、さん……?」
 私は無意識に身体を抱いていた。そうしていないと何かが壊れてしまうような気がして
いた。
「ああ、ごめんごめん。話をするって言ったのに置いてけぼりにしてしまったね。何、君
に聞いてもらいたかったのは他愛もない昔話なんだ」
 一歩。
「昔々あるところに妖怪の親子が住んでいました」
 一歩。
「妖怪といっても母親は人間で、子供は半妖として生まれたのです」
 一歩。
「未だ人間と妖怪の争いが続いていた幻想郷で、何と二人は真面目に愛し合って子供を産
んだのでした。しかし悲劇が訪れます、父親は自らの正体を隠していたものですから、子
供が生まれて初めて母親は相手が妖怪だと気付いたのでした」
 一歩。
「ああ残念。どうしようもない淫売だった母親は、狂ったように子供を殺そうとしたので
す。父親は子供を守るため、母親から離れざるを得ませんでした」
 一歩。
「しかし父親には既に居場所はありません。人間との子供がいる以上、妖怪たちには受け
入れられないのです。しょうがなく彼は人間の中に隠れ住むことに決めました。愚鈍な父
親とどうしようもない淫売から生まれた子供でしたが、父親は愚鈍なりに頑張って子供に
は不自由をさせませんでした。客観的にみれば幸せとは程遠い二人でも、本人たちにして
みれば幸せだったのです。だから子供はすくすくと育っていきました」
 一歩。
「幸せになれるかと思った父子でしたが、二人に悲劇が訪れます。妖怪は所詮妖怪。人を
喰らわなければ生きていけない性なのです。人に隠れ、子供に隠れて食事をしてはいまし
たが、小さな村落ですからいつかは誰かが気付く運命なのでした。異変に気が付いた村人
は巫女を呼び寄せました」
 歩みは止まった。
 必死に後ずさりをしていた私の背中を硬い感触が押し返した。それでも私は後ろに下が
ろうとするのを止めれなかった。
 ――怖い、恐ろしい、これ以上聞いては駄目
「余りにもあっさりと父親は死にました。それほどに博麗の巫女の力は圧倒的だったので
す。子供すら守れない愚鈍な妖怪でしたが、しかし子供にとってはその妖怪が全てだった
のでした。淫売の母親に見捨てられ、普通の人間と違う容姿をしていた少年が村に受け入
れられるはずもないのですから。だから少年は誓いました。絶対に父親の敵は討ってやる
のだと」
 それでも霖之助さんは喋り続ける。段々と熱を帯びて、狂気の瞳を輝かせながら滔滔と
物語を吟じ続ける。
「しかし愚鈍と淫売の息子ですから、当然そんな力はありませんでした。生きていくのす
ら難しく、それでも必死に敵を討とうとしていたのです。だけれども子供の願いは叶えら
れることはありません。いつの間にか人間と妖怪の争いは終わっていました。博麗の巫女
が大結界の担い手として幻想郷になくてはならない存在になってしまったのです。人間と
妖怪の両方から守られている巫女に近付くことも出来ないまま、子供はただ生きているだ
けだったのです」
 私は耳を塞いでいた。それでも声は指の間をすり抜けて、私の心を責め立てていく。
「所詮蛙の子は蛙ということなのでしょう。子供は結局巫女が天寿を全うするのを指を咥
えて見ていただけなのでした。それから目的もなく流されるまま生きていた子供でしたが、
彼にも光明が生まれます。偶然にも博麗の巫女と顔見知りになったのでした。それは彼の
因縁と何世代も離れた巫女でしたが、そんなことは関係ありませんでした。何故なら彼に
とってはそれ以外に生きる理由など初めからありもしなかったのです。彼はそれを福音と
受け止め、思うがままに行動したのでした」 
 俯いて震えていた私の頭が無理矢理持ち上げられる。髪の毛を思い切り引っ張りながら、
変わらない笑顔で私に問いかける。
「どうだい、詰まらない話だったがちゃんと最後まで聞けたかな?」
「私は……私は……」
 ぐずぐずと泣いていると思い切り頬を張られた。頭皮に鋭い痛みが走り、ぶちぶちと髪
が抜ける音が聞こえた。
「何を泣いているんだい? 僕はちゃんと話を聞いたかどうか尋ねているんだよ?」
「貴方は……それだけの為に私を?」
 視界が暗転する。鼻の奥がつんとした。それが殴られたことによる痛みだと気付いたの
は、再び髪を引き上げられてからだった。
「それだけ……? それだけだって? それ以外にどんな理由があるっていうんだい?」
「だって……全部嘘なわけない……。霖之助さんは優しかったもの……」
 私の言葉に驚いたように目を見開いた。髪を掴んでいた手から力が抜ける。口を手で押
さえ、私から視線を逸らすように背を向けた彼の肩は震えていた。
「……霖之助さん」
「君は……」
「え?」
「君は実に馬鹿だね」
 振り向いた彼は口の端を吊り上げて笑っていた。おかしくてしょうがないといった風に
顔を歪めていた。
「少し優しくしただけであんなに簡単に股を開くなんて思わなかったよ。巫女の癖にとん
だ淫売だな。……いや違うな。元々巫女は春を売るのも商売だったね。なら霊夢の股が緩
くてもしょうがないのか。いや、済まなかったね。淫売に淫売だなんていってしまって」
「……ん……い」
「なんだって?」
「ご……さい。ごめんなさい……霖之助さん」
「何を謝っているんだい? ああ、淫売だったことかな。なあに気にすることはないさ。
僕も人のことをどうこう言える血ではないからね」
「どう……したら、許してくれますか? 私は……」
 彼は満面の笑みを浮かべて言った。
「何か勘違いをしているみたいだね、霊夢」
「かん、違い?」
「最初から許すも許さないもないんだよ。僕は君を責めている訳じゃないんだ。実を言う
と嫌っている訳ですらない」
「え…………」
 笑顔のまま、昔のように彼は私に口付ける。そして優しく私の耳元で囁くのだ。
「ただ――君を滅茶苦茶に壊してやろうって決めていただけなんだよ」
 布の裂ける音が部屋に響いた。無理矢理床に押し倒されながら、私はもう抵抗しようと
は思っていなかった。
 彼はずっと笑っていた。透き通った童子のような顔で、ずっと。ずっと。
 でもその顔は本当は――

                            *

 二人分の体液でぐちゃぐちゃになった霊夢を見下ろして、僕は僕のすべき事を終えたこ
とを実感した。
 初めは上げていた悲鳴も最後の方では蚊の鳴くようなものになっていた。これ以上責め
ることに意味はないだろう。
 僕は寝室を出ると、べたついて気持悪かった体を湯船で流した。
 その後、もう一度寝室を覗いてみたが霊夢は倒れたまま痙攣していたので放っておくこ
とにした。
 僕は台所へいくと一番鋭い包丁を取り出す。まるで知らない誰かの行動を客観視してい
るかのような気分だった。僕は今から死のうとしているらしい。窓から鋭角に侵入する朝
焼けを反射して刃は鈍い光を放っていた。
 ゆっくりと持ち上げられる刃を漫然と眺めながら、内心では愕然としていた。
 ――死ぬことが全く恐ろしくない
 何故死のうとしているのかもわからないまま、僕は腹に包丁を突きたてていた。
 刃は根元まで違わず突き入ったが、なまじっか頑丈な半妖の身体はそれだけでは死ねそ
うに無い。苦痛ばっかり伝えるだけで、致命傷には程遠いことがよくわかった。それでも
二度三度と突き刺すうちに何とか意識が遠のいてくれた。このまま倒れていれば出血多量
で間違いなく死ねるだろう。
 やり遂げた気分になった僕は、地面に体を投げ出した。血の海の暖かさが今は心地よい。
しかしこうしてみると、僕はずっと冷静なつもでも、実際は頭に血が上っていたのだろう。
腹からポンプで送り出すかのように流れていく血の量に反比例するかのように、思考ばか
りが冴えていった。
 ――僕は何故死のうとしているのか?
 ――僕は何故霊夢を殺さなかったのか?
 ――僕は何故……
 疑問は尽きない。
 罪と罰について考えてみたことがあったが、もし僕が罰を受けるのだとしたら、今のこ
の状態こそがそうなのかもしれない。地獄に落とされることより、自らの意志の曖昧さが
恐ろしかった。
 結局、僕の人生は何もわかることなどないということなのだろう。何もわからぬまま産
み落とされ、何もわからぬまま迫害され、そして何もわからぬままに死のうとしている。
 ぎし、と床が軋む音がした。
 しかし霊夢には悪いことをしてしまったな。彼女には謝っておかないと。あれだけのこ
とをしておいて何だが、本当に彼女は良い子だった。
 ――ぎし
 そうか……ああ、ようやくわかった。何で僕が死のうとしているのか、何で僕が霊夢を
殺さなかったのか。何でこんなに単純なことに気が付かなかったのだろう。
「僕は……霊夢に殺されたかったのか」
 血の詰まった喉は明瞭な言葉を発してはくれなかったが、それでも口にすることで憑き
物が落ちたように得心がいった。
 何もかもを韜晦し、責任を他人に擦り付けることしか出来なかった欺瞞に満ちた醜い僕。
それに終止符を打ってもらいたい。何者にも縛られない彼女に生の軛から解放して貰いた
かったのだ。
 得心がいった途端に、自分がどれだけ愚かなことに執着していたのかに気が付いた。自
らの本音すらも韜晦した結果、成功の見込みのない最初から頓挫している計画に縋って生
きていただなんて。
 霊夢が僕を殺せるはずがないし、殺すわけもない。そんなことは初めて会ったときから
わかりきっていたことだというのに。
 だとすると余りにも下らない、悪夢めいた勘違いを抱いたまま、思い通りにならない霊
夢に八つ当たりをしたというだけのことになってしまう。
「……は、はは」
 まるで無理心中に失敗して一人で自殺する馬鹿な間男みたいだ。そんな間抜けがいたら
指をさして笑ってやるのが道理だろう。だが残念ながら僕を嘲笑ってくれる奴が誰もいな
いので一人で笑ってみた。もう口は上手く動かなかったが、しっかりと笑えているだろう
か。
 せめて魔理沙くらいは僕の生き方を笑ってくれるといいんだけれど。
 そんなことを考えながら僕は意識の手綱を手放した。
 
                            *

 目に入った光景は、何故か見慣れたものだった。
 辺りを見回しても川渡しの姿は見えず、どう見てもそれは我が家の寝室だった。
「死んで……ないのか?」
「う……」
 小さな声に視線を下げると紅白の塊が僕の膝に顔を突っ伏していた。
「霊……夢?」
 思わず伸ばしかけた手だったが、それが彼女に届くことはなかった。僕が目を覚ました
ことに気が付いたのだろう。素早く身を起こして、僕から距離をとった。
 何を言えばいいのかわからない。正直僕は混乱していた。何故自分が生きているのか、
何故霊夢が傍にいるのか。わからない。何もわからない。これは死ぬ間際に見ている夢な
のだと言われるのが最も説得力がある答えだろう。
 僕が混乱の極みにいる内に、霊夢は大きく息を吸い込んだ。
 視界が歪む。甲高い破裂音が頬を張られた音だと気付くのに時間がかかった。
「馬鹿じゃないの!? 何で死のうとしてるのよ!!」
「え、いや……何でといわれても」
 僕は呆けたまま頬を押さえる事しか出来ない。紛れもなく感じる痛みが、これが夢であ
ることを否定していた。
 黙ったままでいると霊夢に恐ろしい形相で睨みつけられた。
「霊夢こそ、どうして僕を殺そうとしないんだ? 自分でいうのも何だが、殺されても仕
方がないことをしたつもりだ。なのにどうして……?」
「霖之助さん、私のことを嫌いじゃないって言ったわよね」
「え?」
「言ったわよね!」
「ああ、言った。言ったが……」
「じゃあ好きなの?」
「ええ!?」
「どっちよ!?」
 頬を張られた痛みで落ちつき始めた頭がさらなる混沌に突き落とされた。霊夢は何を考
えているのだろうか。
「自分が何をされたかわかっているだろう? それが答え――っ!」
 鈍い衝撃に頭が揺れる。今度は平手ではなく、拳が顔に突き刺さっていた。
「泣きながら女を犯す馬鹿がどこにいるのよ!! ほんっとうに霖之助さんは馬鹿よね!」
「僕が……泣いて……?」
「そうよ! 子供みたいな泣きながら……そんなんで抵抗出来るわけないじゃない!」
 何度も拳骨が降り注ぐ。だが、もうそれらに力は入っていなかった。
「ばかよ……本当に、ばか……」
 大粒の真珠がいくつも零れて落ちた。
「霊夢……」
「それでっ! 好きなの、嫌いなの!?」
「ああ……そうだね。多分……」
「多分!?」
「いや、好き……です……」
 迫力に押されるままに首肯してしまった。いや、決して嘘ではないのだが、無理矢理言
わされた感は拭えない。
「……うん。なら、いいわ」
「いや、いいわけないじゃないか。僕は霊夢に謝ってすら……」
「霖之助さん、私達は何なの?」
 ぴっと指を一本立てて、出来の悪い生徒に教える先生のように霊夢は問う。
「僕と、霊夢が、何かだって?」
「もう忘れちゃったの? 昨日の今日で!?」
 妖怪も裸足で逃げ出す鬼面で睨まれて僕は頭をフル回転させた。僕のしでかした凶事を
責め立てているのでなければ、それは――
「夫婦、なのかな」
「何で疑問系なのよ!」
「いや、だって……」
「だっても何もないの! 夫婦ったら夫婦なのよ! だから――」
 千切れるかと思うくらい耳を引っ張られた。
「これで許してあげるわ」
 そういって笑う霊夢の表情にもう陰はなかった。
「ああ、すまな――いや、ありがとう。霊夢」
「いいわよ。夫婦ってそういうものだもん」
 僕は霊夢には絶対に勝てないということを改めて実感した。
 そして同時に、僕はずっと霊夢のことが好きだったのだということを知ったのだった。


















                  『深遠からの呼び声』

 私は少しだけ緊張していた。余りにも高そうなアンティークケースだったからだ。
 変に力が入らないようにそっと開けると、中から顔を出したものを見て私は感嘆の声を
上げていた。
「うわあ……」
 中には入っていた一つの小さなカップ。華美な装飾が施されている訳ではなく、ただひ
たすらにシンプルを地で行っている。そこが凄く気に入ってしまった。
 本当に香霖堂には何でも置いてあるんだなあ、と感心すると同時に私は少しだけ笑って
しまっていた。
 それこそ古道具から外の世界の最新のものまで何でも扱っているというので、カップの
一つくらいあってもおかしくはない。ないのだが――
「気に入ったかい?」
「はい、凄く可愛いです」
 煙管を燻らせながら外の世界の本を読んでいるのは店主の森近霖之助さんだ。ちょっと
変わった格好をしているものの、全体的な雰囲気としてはこの国のそれに馴染んでいると
思う。加えて少しぶっきらぼうなところのある人だから、まさかこんな可愛いカップをお
気に入りとして見せてくれるなんて思いも寄らなかった。そのギャップがおかしかったの
だ。
 霖之助さんは煙管の灰を落とすと、眼鏡を取って目頭を押さえた。少々疲れ気味みたい
だ。
 私が来てからも話をしている間以外は、本を手放さなかったから一刻くらいは本と睨めっ
こしていることになる。私が香霖堂を訪れる以前から読んでいたのだとしたら、それは疲
れて当然だろう。
 あんまりお邪魔したら悪いかなと腰を上げかけたとき、
「良かったらそのカップはあげるよ」
 あんまりにもさりげない言葉だったものだから何を言われたのか気付くのに時間がかかっ
た。
「え…………ななな何を言ってあ痛ぁ!」
 驚いた私は膝をテーブルにぶつけ、カップを落としそうになった。カップの無事に安堵
したのも束の間、痛みに思わず膝を抱えてしまう。そんな私に霖之助さんは苦笑を送って
いた。
「まだ珈琲を飲めるようにはなっていないんだろう?」
「あ、はい……それは、その、そうですけれど……」
「お気に入りのカップがあれば珈琲を飲むのも楽しみになるかもしれないからね。そうい
うところから始めてみてもいいんじゃないかな?」
 何もいえなくなってしまった私に、霖之助さんはそっとカップを私に差し出した。
 手にすっぽりと納まったカップと霖之助さんとの間を何度も視線を行き来させてしまう。
霖之助さんはとうとう声を出して笑いだしてしまった。
「うぅ……でもこんな高そうな物、ただで頂くわけには……」
 慌てて懐を探るが、財布にはお菓子を買える程度の持ち合わせしかなかった。折角の御
好意だけど、やっぱりお断りするべきだろう。あんまりにも図々しいもの。
「そうだね、もし気が引けるというのなら……一つ、頼まれてはくれないかな。君は僕の
お願いを聞く報酬としてそのカップを受け取る。それなら問題はないだろう?」
「それは……まあ」
 理屈の上では確かに問題はないと思う。でもお手伝いをして御褒美を貰えるってなんだ
か子供扱いされているような。でも、このカップを貰えるならやってもいいかもしれない。
 断りを口にしながらも、未だに手から離れていないそれに未練が残っているのはよくわ
かっていた。
「えと、何をすればいいんですか?」
「何、極々単純なことだよ」
「あっ……」
 カップを握る私の手に霖之助さんの手が重なった。男の人の大きな掌だ。
「り、霖之助さん……、あの……手が……」
「白状するとね、実はカップのことも下心があって切り出したことなんだ。だから君は遠
慮なくそのカップを受け取ってくれればいい」
「し、下心ですかっ!?」
 思わず明後日の方向を見てしまった私に、
「視線を逸らさないで、僕のことを見て欲しい」
「は、はい……」
 身を乗り出すかのように霖之助さんは私の顔を覗きこんでいた。いや、真摯な瞳で私を
射抜いていたという方が正しいのかもしれない。
「君以外にこんなことを頼めないんだよ。僕の言っていること、わかるね?」
「はい……その、なんとなく……」
 私の返答に霖之助さんは顔を綻ばせた。それはまるで少年のような無垢な喜びの色に染
まっていた。
 
                            *

「霖之助さん、いる?」
 扉を開くと薄暗い店内が目に入る。そこには人の気配がなかった。
 どうせ居間で本でも読んでいるのだろうと思い、私は乱雑に並べてある品物を引っ掛け
ないように慎重に歩を進める。
「霖之助さ――」
 居間に辿り着いた時目に入ったもの、それは二つに人影だった。一つは霖之助さん、そ
してもう一つは、
「やあ、霊夢じゃないか。何か用かい?」
「え、と。ううん、別にそういうんじゃなくて……」
「あれ、神社の巫女じゃない。そんなところでなにやってるのよ」
 永遠亭に住む月の兎、鈴仙が私に喋りかける。別に彼女が香霖堂にいたからといってお
かしいことはない――ないのだが、なんだろうあの距離感は。
 珍しくテーブルに向かって椅子に腰掛けている霖之助さん。鈴仙はその対面に座ってい
た。そして私に気付く前まで、二人はまるで恋人同士であるかのように見詰め合っていた
のだ。 
「……霊夢?」
「で、出直すわ!」
 不思議そうに私を見つめる二対の視線に耐え切れなくなり、思わず背を向けてそのまま
香霖堂を飛び出していた。
 なんで、こんな気持ちになっているのだろう。二人がどんな関係だって私には関係ない
はずなのに。
 私は胸に走る疼痛の原因もわからぬままに当て所もなく走ることしか出来なかった。
 
                            *

 霊夢が飛び出していった方向から視線を戻す。
「霊夢は一体どうしたのかな?」
「さあ、あの巫女の考えていることは私にもちょっと……」
 確かに霊夢の考えがわかるものなど幻想郷中を探してもいないだろう。何者にも縛られ
ないのが彼女なのだから。
 僕は理解できないものは気にしないという特技を活用することにした。手元の本に視線
を落とすと直ぐに内容に没頭することが出来た。
 十分も文字を追っていると直ぐに意識が揺らいでくる。頭を振って顔を上げるとやや疲
れたような鈴仙の表情が目に入った。
「また頼めるかい?」
「……わかりました」
 じっと鈴仙の赤い瞳を見つめていると、拡散していた意識が次第に普段の調子を取り戻
していった。
「うん、やはり君の能力は確かだね。これならいくらでも本を読んでいられそうだ」
「いくらでもって……私もそろそろ帰らないといけないんですけれど」
 鈴仙は能力を使いすぎて疲れたのか瞳に涙を溜めている。もしくはただ瞳が痛いだけな
のかもしれない。
「僕は君に仕事を依頼した。君はそれを承り、報酬を受け取った。さて、ここに何か疑問
を差し挟む余地はあるかい?」
「うぅ、ないですがぁ……」
「座っているだけでいいんだ、こんな楽な仕事もないだろう? 因みにそのカップの価値
を具体的にいえば――」
 値段を告げると鈴仙はぷるぷると震え出した。
 アンティークの値段など決まっているわけもなく、単純に僕が売りたい値段を提示した
だけなのだが、彼女には応えたのだろう。どちらにせよ相応に古く、良いものであること
には違いはない。物の価値とは最後に手にした者が決めるものなのだ。
「何時になったら終わるんですか?」
 表面張力の限界まで瞳に涙を溜めている彼女に僕は冷静に事実を告げた。
「そうだな……とりあえず今日中にこれだけは読んでしまおうと思っている」
 机の上に並べてある本を指し示す。ほんの十数冊といったところだ。
 目の前の少女はあからさまに顔をしかめたが、僕は気にしないことにした。本に対する
興味の方が先立ったのだ。
 再び視線を手元の本、正確には魔導書に戻した。
 魔法使いでない僕には、これらの書物を読み進めるには精神に対する負担がかかる。普
通ならば一冊も読み終えないうちに狂気へと陥ってしまうだろう。その為にこれらの貴重
な書物を死蔵に任せてしまっていたのだ。
 だが鈴仙の狂気を操る程度の能力があれば話は変わってくる。狂気へと向かいそうにな
るたびに彼女に短くなった波長を元に戻してもらうことによって、僕にも魔導書を読むこ
とが出来るのだ。
「ああ、日が沈んでいきます……」
 遠い目で窓の外を眺めている鈴仙に僕は精一杯の優しさを以って口を開いた。
「大丈夫、ちゃんと夕食は用意するよ」
「うう、師匠に何て言い訳しよう……」
 泣き声に近い鈴仙の言葉に少々心が痛んだが、海底に沈んだ古代都市と彼らの崇める神
の記述の興味深さの前には些事に等しい。全ての魔導書にこれほど深い記述があるという
のならば――万難を排してでも読破しなければなるまい。
 とはいえここに用意した分以外にも魔導書と呼べるものは大量にある。いくらなんでも
今日中には読み終えられないだろう。
 僕は本を読み進めながら、どうにかして全ての本を読むまで彼女を引き止められないか
ということを考え始めていた。




posted by sei at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | SS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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