2008年10月27日

二人の人、二つの形

魔理沙との弾幕ごっこの結果雛は地上へと落下する。目が覚めた場所は見知らぬところだった。

登場キャラ
雛 霖之助 他












 星が辺りを駆け巡る。私を狙っているわけでもなく、複雑な軌道を描くわけでもない。
それでも避けるのに必死にならざるを得ないのはその圧倒的な物量の為だ。
 弾幕の正体は見た目は全く重量を感じさせない玩具のような星型の物体だ。しかし真横
を通り過ぎていくその一つ一つが重い風切音を残し、髪とリボンを揺らしていく。
「どうだ、私のスターダストレヴァリエは」
 上方を見上げると黒白の魔法使いが笑っていた。その魔法使い、霧雨魔理沙は青空を背
景に箒に跨り疾走している。その間にも尚も密度を濃くせんと四方八方に弾幕をばら撒い
ていた。
 この失礼な魔法使いは、私が集めた厄を神様の元へと向かう途中に現れた。
「いきなりっ、しかも有無を言わせず弾幕ごっこをしかけてきて……! どうもこうもな
いでしょう!」
 私の叫びも彼女には届かない。どうだといわれても一つの言葉以外に表現の仕様がない
から敢えてそれは口にはしなかった。
 相手を狙わない弾幕など怖くも何ともない。しかしその思想のなさ故に思いもよらぬと
ころにまで弾幕が張られている。気を抜かなければ当たりはしないが、逆に言えば気を抜
けば当たるということだ。真面目に張り合うものでもないのに、常に気は張り続けなけれ
ばならない。
 ――鬱陶しい
 それが正直な感想なのだけれど、流石に口に出すのは憚られる。
「あ」
 そんなよくわからない気遣いに心を囚われていたのがいけなかったのだろう。
 目の前に火花が散ったのだと思った。後から思い返せばただ避け損なった弾幕の一つに
側頭部を痛打されただけだったのだが、そんなことに気が付く余裕はなかった。
 ただ魔理沙が目と口を丸くして何かを叫んでいたのと気持ちの良いくらいの浮遊感だけ
は覚えていた。

                            *

 気が付くと私は天井を見上げていた。暫くの間、古びた木目を晒しているそれを見つめ
ていると段々と意識が浮上してくる。
「ここは……?」
 体を起こしてどことなく埃っぽい室内を見回す。それもそのはず、本といわず道具とい
わず、とにかく年季の入ったものがそこかしこに雑多に積み上げられていた。その中に妙
に新しい、というか全く見たことのないようなものまであったが、とにかく部屋の中が埃っ
ぽいことには間違いない。
 しかし埃っぽい部屋だとわかったところで最初の疑問に進展はない。本当にここはどこ
なのだろう。というか何で私はこんなところで寝ていたんだっけ。
 確か集めた厄を神々へ渡すそうとしていた、その道中に何かがあったような――
「気分はどうだい?」
 声に反応し顔を上げると目の前に一人の男性が立っていた。眼鏡をかけておりやや覇気
の足りない顔つきで私を見下ろしている。中肉中背の優男といった風体だが、大陸と北方
の着物の間の子のような奇妙な服装が際立っている。そして何より目に付いたのは髪の色
だ。この国の人間ではありえない綺麗な銀糸が流れている。
 妖怪には見えないが、かといって人間に見えるというわけもない。どこかあやふやな風
貌の男性だった。
 この人は誰なのだろうとまだ覚めきっていない頭でぼんやり考えていると、彼は唐突に
私の目の前に指を立てた。
「まだ意識がはっきりしていないみたいだね。この指は何本に見えるかな?」
「えっ、あ、さ……三本です」
「正解。それほど重症でもなさそうだな」
「何の話ですか?」
「いや、良かった。中々目を覚まさないものだから医者を呼んだほうがいいかと悩んでい
たところだったんだ」
 私の話を聞かず一人で捲くし立てる。どうにもマイペースな性格らしい。
「ですから」
「君は意識を失う前のことをどこまで覚えてる?」
「それは……確か空を飛んでいたことは確かだと思うんですが」
 本人の弁では医者ではないみたいだが、何故こんな医者のようなことを聞いてくるのだ
ろう。別に私は医者にかかる必要はないんだけれど。神様なんだし、一応。
「そうか。やっぱり一時的なショックで記憶を失っているみたいだ」
「ショック……? ショック……ショック…………あーー!?」
 ずきんと側頭部の痛みが走った。多分、急に大声をだした所為だろうけど。
 その私の声になのか、思い出した記憶に何か原因があるのか。男性は苦々しく顔を歪め
て天を仰いだ。
「……思い出したみたいだね。君は空から僕の店の前に落ちてきたんだ。いきなり大きな
音がしたから何事かと思ったよ。因みにその事件の張本人が君を僕に押し付けて逃げたか
ら君はここで寝ていたというわけだ」
 落ちる直前までしか記憶がないことは幸せなことなのだろう。あの高さから落ちたと考
えるだけでも全身に痛みが走っているような気分になった。もし人間だったら、と考えて
しまい、神様でよかった、などと馬鹿げた結論を付けてしまう。
 ああ、本当に私はまだ寝ぼけて――
「っ!!」
 そこで私は始めて意識が覚醒したのだろう。自分のしでかしたことに気が付くと、私は
弾かれたようにその場から飛びのいた。倒れた椅子が鈍い音を立てて埃を盛大に舞わせる。
「ど、どうしたんだい?」
「私に近づかないでっ!」 
 駆け寄ろうとする前に大声で制する。一瞬だけ逡巡していたが、私が本気なのをわかっ
てくれたのだろう。彼はゆっくりと後方に下がって行き、先ほど私がいた所から一間ほど
離れたところにあった椅子に腰を下ろした。
 私も彼に促され、倒れた椅子を起こしてそこに座った。
「介抱していただいたお礼も言わずに失礼をしてしまったことは謝ります。しかし私は厄
神なのです」
「…………」
「厄払いによって払われた人の厄を私が引き受けます。そして払われた厄は全てこの身に
溜め込まなければなりません」
「それはつまり……」
「貴方も私を見て気が付いているはずです。この身の周りに取り憑く厄は周りの者にも
影響します。ですから……不幸になりたくなければ私に近づいてはなりません」
 だが――それも遅きに失したかもしれない。私がどれだけの間意識を失っていたのか、
その間この人がどれだけ私に接していたのかはわからない。だが、どれほどの短時間だと
してもその間に厄は少なからず彼の身に取り憑いてしまっているはずだ。
 私に出来ることは最早一刻も早くこの場から去ること以外にはない。
「君は……」
 彼が何かを口にする前に私は一方的に捲くし立てる。
「そんな顔しないでください、私は大丈夫ですよ。身の回りに厄を溜め込んでいるだけで
すので、私には影響しないんです」
 そういって笑ってみせたが、彼は難しい顔をしたままだった。
 きっと優しい人、なんだろう。私に同情してくれているのだから。こんな人がいてくれ
るから私は自らの役割に徹することが出来るのだ。彼に出会えたことは幸せなのことなの
だろう。少しだけ私は魔理沙に感謝した。
 私は後ろ髪を引かれる思いを感じながらも、それを断ち切り腰を上げた。そして口を開
こうと思ったとき、
「知っていたんだ」
「――え?」
「最初から君のことは魔理沙に聞いていたんだよ」
 何のことだかわからなかった。そんな私の混乱の隙を付いたかのように、彼は私の直ぐ
傍にまで近づいてくる。
「わ、私に近づいては……」
 一歩下がると彼が一歩距離を詰める。それを数回繰り返しただけで私は壁際に追い詰め
られてしまっていた。もう彼の息遣いさえ感じられるほどの間しか存在しない。
「君は厄を溜め込むばっかりで、君自身の厄は払われることはない。それでは君が辛いん
じゃないか?」
「それは……いえ、それが私の役割ですから」
 ――その言葉は本当に私の本心? 
 当然だ。私が厄を集めなかったら一度払われたはずの厄が再び人間の元へ戻ってしまう
のだから。
 そんな確固たる意志を持っているつもりなのに――何故か私の瞳に映るのは自らの足元
ばかりだ。こんな態度は誰に対しても失礼なのに、それでも身体は心を裏切り続けてしま
う。
 嘲笑い声が聞こえたような気がした。それは先の台詞を彼の目を見て語れなかった自分
が生み出した幻聴なのかもしれなかったが、私の心を深く抉っていった。
 視界の端で彼が動くのが見えた。だけどの幻聴が木霊して顔を上げるのが怖かった。厄
神にあらざる態度をこの人も笑っているのではないか。
 固く目を瞑ってスカートの裾を握り締めた。何を言われても耐えられるように。
 だが次の瞬間私を襲ったものは軽蔑でも嘲りもなかった。
「少し失礼するよ」
「えっ……?」
 その感触が何を意味するのか初めはわからなかった。突然の感覚に翻弄されつつも、決
して嫌なものではない。
 ――これは手……手の感触だ
 男性的な節くれだった固さ、だけれどもそれを感じさせないほど柔らかな手つきで私の
頭の上を躍らせている。
 気が付くと手の力は緩んでおり、私は両の眼を開いていた。そこには手の感触ほどでは
ないが、先ほどよりは柔らかくなった彼の顔が映っていた。
 私は子供みたいに撫でられたまま彼を眺めていた。正直どんな反応をしていいのかわか
らなかった。人に触れられる、ただそれだけのことがこんなに心地良いことだなんて知ら
なかったのだ。
「僕は大丈夫だよ」
 確信に満ちた口調だった。全てを知った上で、その上で私に触れているのだと彼は公言
しているのだ。
 だから、私は何も言えなくなってしまった。
 免罪符を与えられても拭いきれない罪悪感を覚えたままに、私はその場から動けない。
 どれだけの間そうしていたのだろう。私の頭を撫でていた手はゆっくりと下り、耳を掠
めて頬に至り――
 物音が静まった部屋に響いた。それはただの家鳴りだったのかもしれなかったが、私を
正気に戻すのには十分だった。
「――っ! あああああのあのあの!」
 彼は弾かれたように飛び退った私を驚いたように見つめている。その彼の行き場を失っ
たように宙を泳ぐ手を見て、今まで自分がどんなことをされていたのかを今更実感する。
「失礼しますっ!」
 彼が口を開こうとする前に私は脱兎の如く逃げ出していた。
 店を飛び出し息が切れるまで走った。疲れて足を止めた段になって辺りを見回すと、そ
こが魔法の森の近くだということに初めて気が付いた。
 遅まきに冷静な思考が戻ってくる。息を落ち着けると、辺りに人の気配がないことを確
認して大木の根元に座り込んだ。
 とはいえ落ち着いて考えてみても、先ほど起こったことの意味はよくわからない。彼は
一体何をしたかったのだろうか。目が覚めてから四半刻も経っていないというのに、余り
にも多くのことが起こりすぎて感情を上手く処理出来ない。
「……名前、聞いていなかったな」
 というか名乗りさえしていない気がする。失礼に失礼を重ねた自覚はあったので、今更
大した問題ではないのかもしれない。
 視線を先ほどまでいた場所へと向けても建物はここからでは見えない。ただどこまでも
広がる広大な森が映るだけだ。
 そうやって森を見つめたまま座っていると、緩やかな薫風が頬を撫でていった。その感
触が先ほどの彼の手に重なった。
 
                            *

 鳴り響くカウベルの音を聞きながら、僕は手を伸ばしたままの格好で固まっていた。
 部屋に再び静寂が戻る頃になって、僕は漸く腕を下ろして椅子に腰を落ち着けた。
 ――失敗してしまった
 その思いが胸中に渦巻いていた。
 彼女のどこか悲愴の色を孕んだ笑顔を見続けていられず、ついやってしまったのだ。あ
んなことをしたらどんな結果になるだなんてわかりきっていただろうに。
 きっと怒らせてしまったに違いない。人の領分に土足で踏み込んで怒らない奴などいな
い。
 嘲笑い声が聞こえたような気がした。僕の無思慮な行動を嘲る声が、部屋中に木霊して
いるような気さえする。
 余りに真に迫った幻聴に気分が悪くなったのか、唐突に目の前が闇に包まれた。頬に固
さと冷たさの両方を感じて、自分が床に倒れていることを知った。

 気が付くと僕は天井を見上げていた。暫く古びた木目を晒しているそれは割合と見慣れ
ているものである。言うまでもなく香霖堂の居間の天井だ。我が家、我が店ながら古びた
ものだ。そこに愛着もあるのだが……などと下らないことを考えている内に意識がはっき
りとしてくる。
 そして目に映っているものが天井だけではないことと、後頭部と側頭部に感じる温かさ
の正体に付いて言及しなければならないことに気が付いた。
「君は……」
「えっ、あっ……気が付きました?」
 何故か慌てたように僕の頭から手を離したのは先ほどの厄神の少女だった。僕の頭は彼
女の膝の上に乗っているらしく、女性的な肉付きのある太股が上質な枕のような感触を伝
えている。
 窓に目を遣ると陽の高さは殆ど変わっていない。僕が気を失っていたのもそれほど長い
時間ではないらしい。
「私、色々と謝ろうと思って戻ってきたのですけれど……床に倒れていたので驚きました」
「そうかい。ええと……」
 体を起こそうと思ったが、どうにもまだ体の自由が利かない。膝の上を借りたままの会
話はどこか滑稽だったが、仕様がないと諦めて口を開いた。
「雛です。鍵山雛」
「ありがとう雛。僕は森近霖之助、見ての通り古道具屋を経営している。それと……さっ
きは済まなかったね」
「え……?」
「君のことを考えずに無思慮な行動をしてしまった。今更かもしれないが謝らせてくれ。
済まなかった」
 僕を見下ろしている碧玉の瞳が淡く揺れていた。視線を逸らし、しばしの逡巡の後、何
かを決意したかのように彼女の小さな口が言葉を紡ぎ始めた。 
「……いいんです。私、嬉しかったんです。でもその、ああいうことは初めてでしたから
どう反応していいのかわからなくなってしまって……それで逃げ出してしまったんです」
「そうかい。いや、怒っていなかったらそれでいいんだ」
 雛は柔らかく微笑んだ。それと同時に頭を撫でる感覚が戻ってくる。視界の端に彼女の
手が揺れているのが映った。
「え、あっ……これはその、つい……」
「いやいいんだ。わかっているよ」
 僕の視線を咎めるものと勘違いしたのだろう。だが僕は彼女の行動の意味をわかってい
る。先ほどと立場が逆転しただけだ。僕が文句をいう由などあるはずもない。
「あ……」
「わかってる」
「はい……」
 頷きかけると彼女の手が動き出した。その慈しむような手つきは払われた厄を引き受け
るという彼女の性質を現すかのようなものだと思えた。
「それにしても、どうして倒れていたんですか?」
「それなんだが、どうも記憶がはっきりしなくてね。急に気分が悪くなったことは覚えて
いるんだが」
 彼女の口調にはどこか遠慮のようなものを感じる。自分の所為で不幸が、という思いが
あるのだろう。
 確かに病気になることが殆どない僕が急に倒れたのだから、彼女の厄によるものなのか
もしれない。だが僕は敢えてそこに触れようとは思わなかった。彼女のことは魔理沙に介
抱を押し付けられた時から知っていたことだし、そのことを織り込み済みでそれを引き受
けたのだ。
 暗い顔をしている雛にもう一度「大丈夫だ」といって笑顔を作って見せると、少しだけ
彼女の顔も明るくなった。
 ――チッ
「……ん?」
「どうしました?」
「何か聞こえたような……いや、気のせいみたいだ」
 舌打ちのような音が聞こえたと思ったのだが、ここには僕と彼女以外に誰もいない。ずっ
と顔を合わせたままで舌打ちをする意味も技能も彼女にはないだろう。雛の正体が二口女
だというなら話は別だろうが。
 僕は体調が戻るまで彼女の膝の上でそんな益体もないことを考ていた。

                            *

 くるくるくるくる。
 特に意味があるわけでもない動作。癖、のようなものなのかもしれない。
 私は一人回り続ける。くるくると、くるくると。
 そんな中、上空から近づいてくる気配があった。
 動きを止めて空を見上げると、見知った神様が降りてくるところだった。
「あら、機嫌がよさそうじゃない」
「神奈子様。どうしたんですか、こんなところまで」
 外の世界からやってきて瞬く間に妖怪の山での地位を不動の物にしたやり手の神様。八
坂神奈子という名前の通り山の神様でもあるし、蛇の神様でもあるらしい。はたまた海神
の傍系であるという話も聞いたことがあり中々謎の多い人、いや神なのだ。
 山で信仰を集めていることもあり、殆どここら辺には顔を出さない。最近は人里にまで
勢力圏を広げているらしいけれど。
「いんや、偶にはここらにも顔を出さないと思っただけよ。それで?」
「それで、と言われましても」
 一見無遠慮に私との距離を詰める神奈子様だが、それはきっと私への気遣いなのだろう。
いくら神得に溢れる神奈子様とはいえ、私の厄が全く影響を及ぼさないわけでもないとい
うのに。それも信仰を集める為なのかもしれないが、こうもさらりと取れる行動ではない
だろう。これが有力神の振る舞いなのかと思うと尊敬してしまうし、やっぱりその気遣い
はありがたいとも思う。
「いやいや、やけに上機嫌じゃないか。何かあったんだろう?」
「え……と、はい。まあ良いことと言うか、その、友達……が、出来たんです」
 きっと誰にでもある極普通の出来事なのだろう。だが、私にはそれはとても大きな意味
のあることで、こうして口にするのはどこか気恥ずかしかった。
「へえー、良かったじゃない雛。それでそれで、どこのどんな奴よ?」
「えっとですね、森の近くに住んでいるんですけれど……」
 だがそれ以上に誇らしかったのだ。
 私に初めて対等に接してくれた人のことを、まだ何も知らない彼のことを語りたかった。
 そんな私の様子を子供みたいだと神奈子様は楽しげに笑らいながら聞いてくれていた。




















 ゆらゆらと人形が水面に揺れる。指を離すと川の流れに乗ってゆっくりと流れていった。
 ここに来てまで僕は自分がしたことの意義を問うていた。それこそ益体もないことだと
いうのに。
「随分と時期外れな流し雛だな」
 川面から視線を切ると、頭の直ぐ上に箒に跨った魔法使いが浮いていた。
「魔理沙か……時期は関係ないし、これは流し雛じゃないよ」
 見ると魔理沙は手に茸が山積みになった笊を持っている。人に押付けてはみたものの気
になって雛のお見舞いにでも来たのだろうか。これは果たして律儀と言えるのかどうか。
 よくよく見ると笊の中には前に魔理沙に食べさせられた妖念坊なる毒茸も入っている。
他の茸も見たことのない種類ばかりだ。
 僕は何を言うべきか迷った結果「彼女はもう帰ったよ」とだけ口にした。
「流し雛じゃないならそれは何だって言うんだ?」
「まあ近からずとも遠からずだがね、これは"撫物(なでもの)"というんだ」
 前に魔理沙たちに陰陽道の話をしたときに説明したはずだったが、目の前の黒白は首を
捻るばかりだ。僕は小さく溜息を付いた。
「まあ人形を流すのだから、流し雛には違いないな」
「流し雛の起源、というのに近いかな。撫物というのは陰陽道の呪術の一種なんだ」
「うーん、陰陽道より流し雛の方が古い気がするんだが……」
「まぁ陰陽道というのはそういうものなんだ。そもそも陰陽道の起源からして……」
「話が長くなりそうだな。そんなことよりその撫物とやらは流し雛とどう違うんだ?」
「実際に大した違いはないよ。敢えて言うなら能動的か受動的かというのと、後は効果の
違いくらいだ」
 流し雛とは自ら雛へ厄を移し、それを川に流すことで穢れを祓うという儀式である。上
巳の節句に合わせて行われたので、概ね春先に行われることが多い。魔理沙が時期の話を
したのもその為だ。
 逆に撫物とは術師に撫でられる事によって人形に穢れを移してもらう呪術のことである。
こちらは大祓に合わせて行われたので、時期的にも間違いではない。
「それだけ聞いても大した違いがあるとは思えないんだが。どっちも人形を流すことには
変わりないんだろう?」
「大違いだよ。呪術であるということはそれだけ効果もあるということだ」
「……つまり?」
 全く考えるつもりなどないといった風に魔理沙は話を進めようとする。まあ知らないこ
とに興味を持つだけましだと思うことにしよう。
「人形(ヒトカタ)とはその名の通り人の形を意味し、即ちその人の分身となる。撫でる
ことによってもう一人の自分を作り出し、そいつに全ての災厄を押付けて流してしまうの
さ。これは当然諸刃の剣と成り得ることはわかるね?」
「流し雛が一転して呪いの藁人形になるということか」
 冗談めかしていう魔理沙だが、実はそれは正鵠を得ている。実際呪いの藁人形という呪
術も陰陽道から生まれたと言っても過言ではない。
「勿論、流し雛にその側面がないというわけではない。流し雛の雛とは雛形の雛。例え小
さくとも変わり身であることには変わりはない」
「それで結局何でそんなことをやっていたんだ?」
「自己満足、なのかな。結局はね」
「…………?」
 不思議そうな顔をする魔理沙を「見舞いに行くなら早く行ったらどうだい」と追い返し
た。きちんと謝るようにも言い含めたが、果たして魔理沙が素直に言うことを聞くかどう
か。
 一人になると急に辺りが寒くなったような気がして僕は香霖堂に帰ることにした。

 結局のところ彼女の厄を人形に移しても、それは最終的に彼女の元へ戻ってしまうのだ
ろう。僕がやったことなど自己満足に過ぎないのだ。逆にそれは彼女の存在を貶める行為
だと受け止められても仕方がない。それでも彼女は僕の意気を汲んでくれた。やはりこの
国の神様は度量が広いということなのだろう。
 彼女に接することで僕に移る厄に付いては、実は問題ないだろうという目論見があった。
 僕が魔理沙から"預かっている"神剣、草薙の剣には歴史的に見て持ち主に二種類の霊
威を発揮する。その片方があれば少しくらいの厄など、と思ったのだ。
 しかし病気を殆どしない僕が倒れるということは、何か考え違いをしていたのか、若し
くはその程度で済んだことを喜ぶべきだということなのかもしれない。
 倒れた後で彼女が厄を移し取ってくれたことを考えると後の心配はないと思うのだが。
 ――カラン
 正直今は余り動き回りたくはなかったのだが、お客が来たのならばしょうがない。僕は
重い腰を上げると入り口へと向かった。
「いらっしゃ……え?」
 確かに扉を開いた音が聞こえたはずなのに、そこには、誰も、いない。
 先ほどから背筋に感じていた悪寒が増している。僕は扉の前に立ち尽くしたまま振り返
ることが出来ないでいた。
posted by sei at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | SS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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