2008年07月02日

千の理由よりたった一つの

パチュリーは自らの居場所である図書館に異物が混じっていることに気が付く。それを排
除しようと試みるのだが……。

登場キャラ
パチュリー 霖之助 レミリア 咲夜
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 パチュリー・ノーレッジが大図書館に存在する他人の気配に気が付いたのはここ数日の
ことだった。
 初めはどこの誰ともわからずに、レミィの客分か何かと思い放って置いたのだが、何日
も続けて通い詰められるとどうしても気に掛った。自分の領域に他人がいる息苦しさが勝っ
たのだ。
 妖精メイドを問い詰めると男の名は森近霖之助で、香霖堂という古道具屋を経営してい
ということがわかった。
 前に外の世界の大魔法『プロジェクトアポロ』の資料を咲夜に取り寄せて貰った時、確
かそんな名前の古道具屋を利用したと聞いたことがあった。ただそれだけで、店主等には
興味がなかった。だからメイドに聞くまで全く気が付かなかったのだ。
 紅魔館に余所者を入れるなど美鈴は何をしているのだろう。これではただ飯食らいと咲
夜に詰られても仕様がないだろう。
 ただこんな何の力もなさそうな優男が美鈴を倒して堂々と入ってきているとも思えず、
もしかしたら本当にレミィの許可を得て入ってきているのかもしれない。そう思ったら勝
手に追い返すことも出来ず、悶々とした時間を過ごすのだった。
 不幸なことに紅魔館の面々は美鈴を残し、全て博麗神社に宴会に行ってしまっている。
今日だけ我慢しよう。明日になったらレミィに言って排除してもらえばいい。
 そう楽観することにしたのだ。

 そうやって無視を決め込んでいたのだが、現実はままならないものだ。
「ちょっといいかな、本を探しているのだけれど場所がわからなくてね」
 まさか件の男から話しかけてくるとは思わなかった。パチュリーの苛立ちは増して行く
が、腹立ち紛れに八つ当たりをするほど子供ではない。しかし、この場から逃れるために
愛想を振りまくほど大人でもないのだ。
「…………」
 結果、彼女の取った行動は"無視"だった。ある意味一番子供っぽい対応ではあるのだが、
そのことに彼女は気づかない。
「あー……もしもし? 聞こえていないのかい?」
「…………」
 一度決めたら梃子でも動かないのが彼女である。
 ここで鬱陶しいからといって対応してしまったら負けだ。机に広げてある魔導書に集中
しよう。
 男の気配はなくならなかったが、声をかけるのは諦めたのだろう。心地よい静寂が大図
書館を支配した。
 魔導書の解読に身を入れると、外の世界のことも気にならなくなっていく。この心地よ
い没入感をパチュリーは気に入っていた。
「フサルク……この時代は中々解読が難しいわね。まず対応表を作らないと……」
 年代によって多彩な面を見せる古代文字を読み取るのは長久を生きる魔法使いでも難し
い。この手の文献は別の言語による写本も少なく、自ずと一から解読することになる。そ
れも時代によって子音や母音が増減するような複雑なものになると、時代の特定から入ら
ないといけない。
 苦労する反面、解読出来た時の喜びは一入である。パチュリーは根っからの魔法使いだっ
た。
「それは十六文字型フサルクだね。対応表なら僕も持っているが使うかい?」
「え……?」
 振り向くと先ほどの男はまだ後ろに立っていた。あれから半刻は経っているというのに
ずっと自分を見ていたのだろうか。
 差し出された紙をざっと見ても瑕疵は見つからなかった。
 感謝等より警戒心が勝る。この男、人畜無害な振りをして魔法を学んでいたのか。
「……これはどうやって?」
 もうこの男を無視することは出来ない。少しでも危険性があるのなら早いうちに処理し
なければならない。今はこの館に自分しかいないのだから。
 立ち上がり霖之助と距離を保って対峙する。目の前の男を睨み付け、いつでも魔力を解
き放てるよう術式を紡いでいく。
 だがパチュリーのそんな威嚇行動に気づいた様子もなく、霖之助は気楽に言葉を放った。
「何、古代文字の研究は外の世界の方が進んでいるというだけさ。まあ外の世界には星の
数ほど人間がいるんだから当然だろうね」
 要らないのかい? とでとも言いたげな顔で紙をパチュリーに突き出す。全く警戒心の
ない霖之助はいつでも消し炭にすることが出来るのだが、その無邪気といってもいい男の
対応は彼女を困惑させた。
 数秒悩んだ後、パチュリーはひったくるようにして紙を手に取った。
 考えすぎだった、この男はやはり人畜無害でスノッブな只の道具屋なのだろう。
 それで用は終わりだ、とばかりにパチュリーは席に付いてまた魔導書に没頭する。正確
には没頭した振りだ。未だに背中から消えない気配を針の用に感じていた。
 魔導書の解読はすぐに終わった。元々この言語の造詣は後ろに立つ胡乱な男よりよっぽ
ど深いつもりである。別に彼のおかげで早く終わったのではない。ただほんの少しだけ手
間が減っただけだ。
 一つ作業を終えたことで平常心を取り戻したパチュリーはすぐさま積んであった次の本
に取り掛かる。
「ああ、その本は読むだけ無駄だろうね。クロウリーの魔術は恐らく君には合わないと思
うよ。特に後期の奴はね」
 またか。懲りない男だ。
 パチュリーは嘆息と共に霖之助に向き直った。
「世の中に無駄なもの何てないわ。どんな魔術だろうと私は解読するし、解読した魔術は
全て身に付けてきた。貴方のような唯の"人間"にはわからないでしょうけど」
 なるべく辛辣に聞こえるように感情を込めて皮肉を言ってやる。流石にこれでこの鈍い
男も気が付くことだろう。
「いや、そもそも一人では無理なんだが……何と言えばいいのかな。サバト的な儀式を行っ
て神がかりする必要があって……房中術、だと離れるか。日本でいえば立川流というか」
 微かに聞き覚えのある単語が耳を掠めていく。それらの単語が意味する所は確か、
「――――ッ!」
 パチュリーは持っていた本を思い切り投げつける。それは違わず霖之助の顔面に命中し
た。どういう経緯でそうなったのか、和綴じの写本だったから良かったものの、きちんと
装丁されている本だったら今頃霖之助の意識はなくなっていただろう。それほどまでに力
一杯投げつけていた。
「本を乱暴に扱うのは感心しないよ。この本はもういいのかい? 彼の魔術も初期には見
るべきところもあると思うが」
「黙ってて!」
 やはりこの男は嫌がらせをしにきたのだろう。あんないやらしいことを真顔で言う何て
まるで変質者だ。
 パチュリーは両手を机に叩きつけるようにして立ち上がり、本を持って立ち去ろうとす
る。
「ちょっと待ってくれないか。何か怒らせてしまったみたいだが、他意はなかったんだ。
僕の話を聞いてくれないか?」
「…………」
 パチュリーの霖之助を見る目は既に敵意の域にある。霖之助も漸く事態を把握したのか、
焦りの色を伺わせるようになった。
「前々から君が僕のことを疎ましく思っていることには気づいていたんだ。だが僕も正直
ここの蔵書には感心しているんだよ。出来ればこれからも利用させて貰いたい」
「……元々許可した覚えはないわ」
「ああ。だからこそ許可を取ろうと思って声を掛けたんだよ」
「じゃあ話はこれで終わりね。さようなら」
「待ってくれ。少しは僕の話を聞いてくれ。そうだな……例えばその本」
 パチュリーが胸に抱えている魔導書を指差す。
「解読に苦労していないかい? 鍵が見つかっていないんじゃないのかな」
「……だからどうしたの?」
「その本は偽書さ。いくら探そうとも鍵何か見つかりやしない。昔の書生が悪戯半分で書
きなぐった物だからね」
「何ですって?」
「未知のアイテムの名称と用途がわかる程度の能力。中々役に立つとは思わないかな?」
 パチュリーは黙り込む。霖之助の言うとおり、読めども読めども意味を辿ることすら出
来ていなかったのだ。暗号符号などにも注意深く目をやっていたというのに。
「何が言いたいのかしら?」
「実を言うとね、僕は外の世界の式神"コンピュータ"についての魔導書を探しているんだ。
この大図書館には外の世界の書物も多いと聞いたからね」
「それで?」
「利害関係が一致するとは思わないかい? 僕が読んだ本は全てその真贋を判定できる。
この図書館にあるべき蔵書かどうかね。それに必要なら君がこれから読む魔導書の判定も
請け負ってもいい」
「…………」
 顎に手を当てパチュリーは深く思考する。確かに悪い条件ではない。益体も無い魔導書
を読む時間を減らせれば魔法の研究は今までより捗るだろう。
 感情を横に置いて理性だけで判断するならばこの条件は呑んでもいいものだ。しかしこ
の変質者を信用していいものか――
「よし、これは取って置きだったんだが、魔導書を一冊付けようじゃないか。これはこの
大図書館にすら置いていない稀覯本だと保障するよ」
「見てから判断するわ」
 それもそうだと、霖之助は懐から一冊の本を取り出す。
 どうやら写本のようで乱雑に綴じられてはいるものの、年代と確かな魔力を感じさせる
一冊だった。
「尸……条、書?」
 まるで記号か暗号の如く蚯蚓がのたくったような文字が連なっている。これは漢字とい
う奴だろう。中身も同じ系統の文字で埋め尽くされており、パチュリーには内容は把握出
来なかった。
「所謂ネクロノミコンって奴さ。中文版の写本だけどね」
「何ですって!? そんな貴重な魔導書の写本なの!?」
「僕には魔法使いに取っての価値はわからないが、その本が本物であることだけは確かだ」
「どういうつもり……? こんな貴重な物を……」
「一度読んでしまったからね。僕に取ってはそれほど重要でないというだけだよ。読めど
も正気度が下がる一方で良いこと何か何も無いしね。それに道具屋というのは道具をより
活用してくれる人間の手元に送ることが仕事なんだから」
 もし読めなければ美鈴にでも訳してもらうといいよ。そう付け加えて本をパチュリーの
手元に押付ける。
 受け取っては駄目。この男は何を考えているかわからない。レミィに迷惑を掛ける訳に
はいかないもの。
 それに魔法使いでもないのに魔導書を読んで平然としていられるのもおかしい。
 やっぱりこの話は断るべきだ。
「よし、商談成立だ。今日はこれで帰るがまた明日から宜しく頼むよ」
「……えっ?」
 パチュリーの体は理性を裏切ってしかと本を抱きしめていたのだった。

                            *

 今日は完敗だった。そう認めざるを得ない。
 紅魔館に突如入り込んだ異物、森近霖之助にしてやられてしまった。魔法使いでないか
らといって相手の知識を舐めてかかった結果、魔法使いとしての顔に泥を塗られてしまっ
た。
 そのことを認める余裕が戻ってきた後、彼女はある計画を立てていた。
 ――今度は私があの男を完膚なきまでに論破してやる。
 恥ずかしくて二度と紅魔館に来れなくしてやれば私の勝ちなのだ。付け加えて魔導書を
只で手に入れたも同然なのだから大勝だといってもいい。
 そのようにパチュリーは今日の敗北を正当化しようとしていた。
「パチェ? 咲夜が何か用事があるみたいなこと言っていたけど?」
「いい。それはもう解決済み」
「……そう?」
 怪訝そうな顔をして去っていくレミィに心の中で謝ってパチュリーは明日から始まる霖
之助との闘いに備えるのだった。

                            *

 次の日早速現れた霖之助にパチュリーは目敏く狙いを定めた。
 小悪魔を使用人のように使い走りにし、外の世界の書物を集め始めた霖之助を睨みつけ
るようにして隙を伺う。
 言いがかりでも何でもいい。会話の端緒さえ掴んでしまえばあの男が答えられないよう
な難問を吹っかけてやるつもりだったのだ。
 本で顔を隠しながらちらちらと霖之助を盗み見る。
 しかしいつまで経ってもその時は訪れなかった。自分から声をかけるという選択肢を設
けなかったのが敗因だろう。
 日の暮れる時刻になり――日の入らない大図書館では時計でしかわからないのだが――
霖之助は帰り支度を始めていた。
 今日のパチュリーは一日中彼の動向を伺う事に終始し、全く魔法の研究が進まなかった。
付け加えて慣れないことをした結果どっと疲れがたまってしまっている。酷く肩が重くな
っていたし、座りっぱなしでお尻も痛い。
 席を立った霖之助を更なる恨みを込めて睨みつけた。
 漸くその視線に気が付いたのか。霖之助はパチュリーに歩み寄ってくる。
「やはりこの図書館は素晴らしいね。僕でも見たことのない書物が沢山あったよ」
 そういって何か紙片をパチュリーに手渡す。
「これは?」
「今日読んだ本のリストだよ。名前と用途を箇条書きにしてある。詳細はあそこの小悪魔
に伝えてあるから後で確認するといい」
「……そう」
 ざっと目を通すとその多くが近代から現代にかけての魔導書の類だった。結果は殆どが
無用の長物だったが、中には有用と思っていた無益な本、無益と思えて有用な本等も有り、
これが事実であるならば今日この男が為したことの意義は小さくない。
 何だかんだと自分で言った仕事をこなしている。もしかするとこの男は思ったよりかは
誠実な人間なのだろうか――、一瞬浮かんだ考えを頭を振るって否定した。
 駄目よパチュリー、見かけに騙されては。
 心の平衡を取り戻すと感情を込めず、ご苦労様、とだけ呟く。聞こえない程度の声量で。
「しかしこの黴臭さは頂けないね。日本の風土にこの館の作りは向いていないようだ」 
「咲夜はよくやってくれているわ」
「確かにある程度掃除は行き届いているが、いくら無限に時間がある彼女でも限界がある」
「……それは否定しないけれど」
 風通しの悪いこの大図書館が黴臭くなってしまうのは仕様がないのだ。霖之助の言う通
り日本の湿気の多さと館の作りの不一致が全ての元凶だ。咲夜に非は一分も無い。
「君は喘息持ちだと聞いたが、体にとっても余り良い環境ではないね」
 その通りだった。しかし書物こそが彼女の存在意義でもあり、彼女そのものなのだ。そ
のような些細な問題をして選り好みすることが出来る立場ではない。
「大した問題ではないわ」
 だからそういうしかないのだ。
 霖之助は彼女の返答に難しい顔をすると、何かを考えるような顔付きのまま去っていっ
た。
 その段になってパチュリーは漸く気が付くのだ。自分が今日最後のチャンスを見す見す
見逃してしまったことに。

                            *

 あれから一週間、パチュリーの計画は頓挫寸前であった。
 難問をぶつけるとのらりくらりと躱される。また魔導書を使ったものにはまるで魔法に
通暁しているかのごとく喝破された。時にはパチュリーが勘違いをしているものさえあっ
た程だ。霖之助の能力はどうやら本物らしい。今日までの日でそれだけは確信出来た。
 考え無しではこの計画は成功しない。霖之助は自分の専門分野でないと知ると周到に逃
げ道を用意する狡猾さを持っていたし、本等の道具を使った質問は墓穴を掘る可能性があっ
た。
 結果、パチュリーは待ちに転じることに決めた。このまま攻め続けても陥穽にはまるの
は自分だと悟ったのだ。
 待つことには慣れている。最後に勝つのは私なのだ。
 そう心に決めたパチュリーは普段通りに過ごすようになった。霖之助をいないものとし、
魔法の研究に没頭する。
 その研究の合間合間で霖之助を視線だけで追い、機会を伺う。しかし深追いはしない。
無理そうなら直ぐに自分の世界に入り込む。
 時として霖之助の方から話しかけてくることもあった。その時は牙を隠し、普段通りに
対応する。彼の知識と能力は研究の一助になることは確かだったので、感情を理性で押さ
えつけ助力を求めることもあった。尸条書の読解も漢文に通じる霖之助の手で順調に進ん
でいった。
 そのようにして毎日を繰り返すと、直ぐに一月は過ぎ去って行った。

                            *

「パチュリー様、最近は何だか元気そうですね?」
 夕食時、給仕を務める咲夜がどこか嬉しそうに話しかけてくる。
「そう……? 毎日大変で疲れてるけれど」
「そうよ。最近のパチェはらしくないくらい活気付いているわ」
 そう言われてみると、確かに変化があるように思えてくる。
 考えていくと一つだけ思い当たる節があった。
「そうね、いつもより呼吸が楽かしら? 咲夜、何か掃除の方法でも変えたの?」
 図書館の中は埃と黴が充満し、酷い時だと呼吸自体が苦しみを齎すことさえあった。そ
れが最近だと図書館の外にいるのと変わらない位呼吸が楽な時があるのだ。
 過去のことを思うと、例えば魔理沙と話している時に喘息の辛さを忘れられたことなど
はあった。だがそれとも違う。そもそも魔理沙は最近姿を見せていなかった。
 考えても思い当たる節は全く無い。となると咲夜の掃除が完璧に行き渡るようなった、
位しか思いつかなかった。
「いえ、私はいつも通り掃除をしているだけですが」
 不甲斐ないと頭を下げる咲夜を押し留める。あの広大な図書館を毎日完璧な清浄さの空
気を保つように掃除をしていたら咲夜が過労死してしまうだろう。
「何にしても良い傾向だと思うけどね」
 レミィの言う通りだ。
 原因はわからなかったが、喜ぶべきことには間違いない。
 パチュリーは特に疑問も持たず状況を受け入れるだけだった。

 それから数日後、呼吸が楽な日とそうでない日があることがわかってきた。今日は苦し
い日の方である。正確には以前の状態に戻っただけなのだが、より楽な状態を体験してし
まうと、もう昔のように感じられなくなってしまった。人間という器の脆さには辟易する。
「そういえば今日はあの男はいないわね」
 広大な図書館には自分と、暇そうにしている小悪魔以外には誰もいない。
 ああ、これだ。この状況こそが私のいるべき日常なのだ。
 心底そう思った――はずだったのだが、何故か落ち着かない。研究に身が入らない。日
常に戻ってきたはずなのに、どこか自分の居場所で無いように感じる。
 膨れ上がる尚早を無理矢理押さえつけると、その正体が見えてきた。
 息苦しいのだ。
 正体不明の胸のつかえに懊悩しながらその日は終わった。研究は進まなかった。

 その日は朝から霖之助が訪れていた。相変わらず小悪魔を扱き使って蔵書を濫読してい
る。
 今日は呼吸が楽な日なのか、昨日の胸のつかえが嘘のようになくなっていた。
 昨日から続く悩み事のために自分らしくないと思いつつぼけっとしながら考え事をして
いた。
 原因さえわかれば状況を再現することはきっと容易いだろうが、未だにそれがわからな
い。何か法則のようなものでもあるのだろうか。
 行儀悪く机に肘を立て腕に顎を乗せる。そうやってぼうっとしていると視界に霖之助が
入る。
 ああ、そういえば最近はあいつを打ち負かすことも考えていなかったな。何時の間にか
戻ってきていた日常に忙殺され、何時の日かの計画も凍結状態にあった。
 山のように積まれた本の間から少しだけ覗いている顔を見つめる。視力の悪い彼女では
上手く像を結ばなかったが、何だかんだと一ヶ月以上も付き合っているのだ。脳内で勝手
に補正されて霖之助の顔が再現された。
「あっ……」
 たった一つだけ法則と呼べるものがあることに気が付く。
 呼吸が楽な日には必ず霖之助の姿があったのだ。そしてその逆も然り。
(え、え、どういうことなの。何で霖之助がいると呼吸が楽になるのよ)
 唐突に浮かんだ思考に翻弄される。何故あの男がいると――まるで魔理沙と話している
時の様に――安堵感を覚えるというのだろうか。
(もしかすると私……あの男のことが……?)
 かっと顔が熱くなった。ないないない。あるわけがないそんなこと。
 一瞬にして百通り以上の理由が思い浮かび、そのそれぞれがこの推論が間違っていると
証明する。
 しかし霖之助の存在が呼吸を楽にしているという仮定だけは否定されることは無かった。
 気づかぬうちに心臓が早鐘を打ち始めている。顔の熱もまるで風邪でも患ったかのよう
に上がり始め、楽だったはずの呼吸も荒くなっていく。
(違う、違うわパチュリー。落ち着きなさい。そんなことがあるはずないのよ)
 必死に自分で自分を説得する。推論を打ち消す理由だけが幾何級数的に増えていくが、
それらが彼女を落ち着かせることは無い。
 だって好きになる理由なんて――
「…………っ」
 唐突に気が付いてしまった。自分の目の前に広げられた魔導書の数々。そのどれもが現
在手元に置かれている予定ではなかったものばかりだ。
 ずっと霖之助を邪険にしていたが、気づかない内にいつもより研究は捗っていたのだ。
ただそれを無視していただけ。気づきたくなかっただけ。
 これは自分の努力の結果なのだ。あいつに邪魔された分を取り戻すために頑張ったのだ、
と。
 しかし専門外である東洋魔術の進捗は殆ど霖之助の手柄だったし、この魔導書に辿り着
くのを早めたのは彼の能力で不必要な書物を選り分けた結果だった。
 気が付いてから急に動悸が治まり、呼吸も楽になる。
 ただ、認めてしまえばよかったのだ。
 数百、数千通りの否定の言葉より、たった一つの肯定こそが大事だったのだと。
 パチュリーは立ち上がった。何かを伝えたかった。謝りたかった。そして――それ以上
は自分でもわからなかったが、とにかく今の感情をぶつける他ないのだから。
 霖之助の後ろに立つ。一ヶ月前と全く逆の立場だった。
「……ちょっといい? その、話したいことがあって……」
 ゆっくりと振り向く霖之助。目が合うとまた心臓が跳ね上がった。
「何かな? 書物の鑑定なら少し待ってくれ。丁度この本が読み終わりそうなんだ」
「手間は取らせないわ。その……少し気が付いたことを言いたいだけだから」
 霖之助の顔を上手く見ることが出来ない。俯いて話す自分を可笑しいと思わないだろう
か。不安な気持ちがもたげてくる。
 霖之助は本を置くと、パチュリーに向き直って頷いた。
 それでパチュリーの覚悟は決まった。
「私、貴方のことが気に食わなかったわ。魔法使いでもないのにこの図書館にずけずけと
上がりこんできて」
「……ああ」
「でも少しづつ研究を手伝って貰ったりして、その……貴方の知識も認めざるを得ないっ
て気づいて……」
 一旦言葉を区切る。これから先の言葉を言うのに必要な勇気を片っ端からかき集めた。
 強く拳を握り、目を瞑って口を開く。
「私、貴方と一緒にいると気持ちが楽になることに気が付いたの。これってもしかして…
…」
 パチュリーの言葉が終わらないうちに霖之助が口を開いた。
「ああ、やっと気が付いてくれたかい。実は僕も不安だったんだよ。気が付いてくれなかっ
たらどうしようかと思っていた」
 喜色満面の霖之助。
(え……これってもしかして……私たち、同じ気持ちを抱いていたの……?)
 ゆっくりと目を開くと目の前に霖之助の瞳があった。事態についていけない心が体をふ
らふらと揺れ動かした。
 何かを言わなければならない。そう思っても口は思ったように動いてくれない。酸素を
求めて喘ぐように開閉するだけで、言葉が紡がれることは無い。
「これ、受け取ってくれるね?」
 霖之助は首からぶら下げていたペンダントのようなものを外す。
 鎖の先にはどこかでみたことのあるミニチュアサイズの火炉が取り付けてあった。
「これって魔理沙が持ってる……」
「君の為に作ったんだよ」
 急なことで何を言っていいのかわからなくなる。魔法使いに取っては垂涎のマジックア
イテムであることは間違いない。
 ただそれ以上に贈り物をされたことが嬉しかった。最後にプレゼントなんてものを貰っ
たのはいつまで遡ればいいのかわからないくらい昔のことである。
「えと、その……ありがとう」
 じんわりと体に暖かいものが巡っていく。それは久しく覚えたことのない感覚だった。
「いや、いいんだよ。実のところ僕も自信がなくてね、材料も最低限しかなかったから。
こんなサイズだと流石に、ね」
「え……と?」
 少し話が噛み合わない。確かにこのペンダントのようなミニチュア八卦炉は確かに魔理
沙のよりも小さいけれど。
 パチュリーの困惑に畳み掛けるように霖之助は口を開く。
「前に外の世界の"マイナスイオン"という効果を持つアイテムをミニ八卦炉に混ぜたら空
気が美味しくなったと魔理沙が言ってたから使えるとは思っていたんだ。でもこのサイズ
だと機能するか不安だったし、健康な僕では今一実感がわかなくてね。気が付くまで内緒
にしていという訳だ」
 照れ隠しのように頭をかく。
 こんなことなら最初から渡しておけばよかったかな。そんな呟きもパチュリーの耳には
入らない。
「え? え? ええ?」
「ああ、でもそれほど効果があったなら……うん。道具屋冥利に尽きるというものだよ。
ああ、御代は結構だよ。君にはずっとよくしてもらっていたからね」
 これって、つまり――
「……むきゅー」
 全部私の勘違いだったんだ。私の内に芽生えたと思った感情も、霖之助からの暖かさも。
 その後も霖之助は何か喋り続けていたが、全て右から左へ抜けていった。
 ああ、顔から火が出るほど恥ずかしい。穴があったら入りたい。
 いや、変なことを言い出す前に気が付いてよかったのだ。そうだ、うん。きっとそうだ。
 そっと顔を上げて目の前の男を睨みつけてやる。しかし話に夢中で毛ほども気にした様
子がない。なんていう無神経な男なのだろう。
 こんな男を好きになるなんてあるはずがない。
 だからきっと何かの間違いなのだ――この胸の切なさは。
 パチュリーは服の上からそっと胸を押えた。

                            *

 あれからまた一ヶ月が過ぎた。
 流石の霖之助も図書館を利用する回数に翳りが見えてくる。
 店を長く空けていた所為で、霊夢や魔理沙に怒られたと言っていた。それでもまだまだ
読む本はあると言っていたが、咲夜が美鈴に雷を落とした結果、彼が紅魔館に侵入するの
も難しくなったのも一因らしい。
 今では霖之助の来訪は週に一回程度のペースに落ち着いていた。
 パチュリーの生活は以前のものに戻った。本を読み魔導書を解読し、新しい魔法を開発
する。彼女にとって至福の時間である。
 かといって霖之助を疎外することもなく、必要があれば研究に助言を貰ったりすること
もしばしばあった。
 レミィや咲夜に言わせると、
「珍しく仲の良い人間が増えた」
 ということらしい。自分ではよくわからなかったが。
 あれ以来変わったことといえば、少しだけ喘息が楽になったことと、図書館を掃除以外
の理由で訪れる人間が増えたこと。それだけのはずなのだ。
「お早う、パチュリー」
「……霖之助」
 今日は珍しく朝から霖之助が来ていた。
 いつも通り、机を挟んで向こう側。視線が重ならないように一つ席をずらして。
 お互いに邪魔にならず、かつ助け合える絶妙な位置。この一ヶ月で生まれた二人の距離。
 数少ない読書仲間。仲のいい友達。……魔理沙のような?
(……でも本当にそれだけなの?)
 パチュリーは目の前の本を取り、霖之助の後ろに回る。
 きっともう一つだけ変わったもの、いや生まれたものがあったはずなのだ。
 あの時は捨ててしまったはずのその産声を、今再び聞いてみたい。
「霖之助、ちょっといいかしら?」
「何かな? 書物の鑑定なら……」
 奇しくもあの時と寸分違わぬこの状況。
 あの時必要だったのは何だろう? 彼の気持ち? 私の想い?
 いや、違う。きっとそれはもう一欠けらの勇気だったのだ。
「時間は取らせないわ。この本のここの記述がわからないのだけれど」
「えっと、これは外の世界の書物だね。何何? 親愛を表すために行う行為――」
 そっと唇を重ねる。今度はしっかりと目を開いていた。彼の驚く表情までちゃんと見え
ている。
 瞳を見据え、霖之助の反応を待つ。どんな結果でも受け入れる覚悟と共に。
「……駄目だよ、こんなことしたら」
 霖之助の言葉に思わず俯いてしまう。
 椅子が引かれる音がした。
 ――霖之助がどこかへ行ってしまう
 このまま何も言われず別れるなんて嫌だ。そう思って顔を上げた瞬間、
「ちゃんと断ってからしないとね」
 さらりと頬を撫でられて、唇に甘い感触が蘇った。
「……むきゅー」
 今度のキスは顔を見ることが出来なかった。
 ふらふらと倒れるままに霖之助の体にもたれかかる。彼の両腕に抱かれて、耳元で囁か
れる言葉に体が震えた。
 やっと見つけたこの想い。
 それは千の理由より勝るたった一つの――









●後書き
 投下九作目。
 小野さんのパチュ霖に影響されて書いた一作。これを読んで少しでもパチュ霖に傾いた人は是非おのさんの絵を見に行って悶えてください。
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